2022/06/10
ウクライナとロシアの戦争について。
当初から従来の戦争と何かが違う? 不思議に思う事ありました。
net 上では、
この度の戦争は今に始まった問題ではなく、大昔から存在する西方教会と東方教会の代理戦争 日本のマスコミは立場上「西方教会」の視点に立って大本営発表 (情報戦争) をしている? という風な情報をよく見かけ。
しだいに→
西方教会の側でも、ドイツ風の国群の政治スタンスに光 (スポ) ットして来て ハンガリー (ドイツ風の国?) が E欧 と ロシアの間で揺れ動いているニュースも出て来ました。
ーー*→
自分は「西方教会と東方教会』どちらの信徒でもありませんが 戦時には「情報戦争』が発信される事ある。歴史はデジャブする。← と事を信じる。← デジャブる信徒です。
例えば?
大量虐殺や物資略奪の情報可否など それらも「情報戦争』かも?等の情報が「誤情報』であれば、自分もデマ情報の流布者になってしまいます。どのような情報も1人一人が解読する時代に。その事も踏まえて情報発信しようと思います。
ー↓─━─扉─━─↓ー
古代ローマ帝国は西と東に分別 →
カトリック教は新教 → 抵抗的、
オーソドックス教は旧教 → 体制的。
しだいに、
カトリック教は天主教、
オーソドックス教は正教。
呼ばれるように。
ー―…―…→→
当初は、
抵抗的な天主教でしたが、
時とともに →
天主教も体制的 → 貴族化。権力社の道具と堕して行きます →
ある日、
ドイツ大学のマルチン・ルター教授が体制的 → 貴族化して来た天主教を批判。
ルター派と呼ばれる学派 → その影響受けたカルビン派 → プロテスタント教に進展したと云います。
天主教 (カトリック教 / 体制的) 、
基督教 (プロテスタント教 / 抵抗的) 。
2教に分別。
ー↓─━─扉─━─↓ー
ところ代わって、
西洋で基督教 (プロテスタント教) が生まれた時代ころ、東洋では陽明学 (儒教的な学派) が生まれていました。
基督教と陽明学 ともに抵抗的な学派から生まれ → 似ていたので、日本でも陽明学者 〜 基督教徒に転じるケースよく見られたといいます。
日本で有名な陽明学者 → 大塩平八郎 (乱を起す) 、山鹿素行 (国替される) 、吉田松陰 (処刑される) 、西郷隆盛 (島流される) 、など。抵抗タイプの人が多く見られます。
当時、西洋ではキリスト教 ⇔ 東洋では儒教が「政治」となり、西洋 (キリスト教) でも東洋 (儒教) でも「政治 > 商業』という関係が見られました。
*商業軽視
西洋では、
天主教は体制的 ⇔ 基督教は抵抗的。
東洋では、
朱子学は体制的 ⇔ 陽明学は抵抗的。
ー?→
(・・? そのためなのか?
16世紀 / ドイツ大学のマルチン・ルター教授から派生した基督教 (プロテスタント教) は、商業国 (オランダ等) や行商人たちに受け入れられたと云われています。
ー―…―…→→
ー?→
詳しくは解りませんが、
1525年にドイツ騎士団領の隊長が基督教徒になり、
ー―…―…→→
帝国 > 王国 > 公国 →
ー?→
(・・? 複雑お話?
ポーランド王国は、民族的には東方教会・ロシア帝国のスラブ民族と似て 宗教的には西方教会の天主教になっていたようです。
宗教的には、
『帝国 > 王国 > 公国』関係にあったようです。
ー?→
(・・? 2つのドイツ?
神聖ローマ帝国 (内地のドイツ) とプロイセン公国 (外地のドイツ) ?
… 類似こと? →
今でも北海道や沖縄では、日本島や九州島の人を「内地の人」と呼んでおり、旧・満洲国に住んでいた日本人もそう呼んでいたようです。
*新聞等では『本土の人』と記載。
詳しくは解りませんが、
その昔、北海道・満洲国・朝鮮・沖縄・台湾など。『外地』と呼ばれていた時代の名残で。その類似事は、ドイツ風の国でも見られたように思います。
英国 (内地) と 米国 (外地) ? 関係においても、貴族的な英国に抵抗運動 (プロテスタント) した人々が米国に渡った? 云われています。
ー?→
(・・? 内容は飛んでいますが?
13世紀ころ、東方のイスラム教徒 (モンゴルやトルコ) に対峙するため、ドイツ騎士団 (兵隊) が東方に派遣されていたようです。
… ドイツ風の国では →
ソーセージが発展していますが、ソーセージのソーは『兵士 (soldier) 』と『塩 (salt) 』を語源とし → 兵は戦時 塩は保存 → 戦時は保存食が、との事です。
*ソーセージは保存食?
むかしドイツは「1つの国」ではなく『連なる邦』で、マルチン・ルター教授 (プロテスタント教の) が働いていた大学は神聖ローマ帝国 (内地のドイツ?) ドイツの駒人たちが警備していたドイツ騎士団領 (外地のドイツ?) ? ような関係にあったように見えます。
神聖ローマ帝国 ← 内地のドイツ?
ドイツ騎士団領 ← 外地のドイツ?
ー?→
… もう一度 →
神聖ローマ帝国とポーランド王国は天主教徒、
ーー*→
易的説明ため、
神聖ローマ帝国 (内地のドイツ) とプロイセン公国 (外地のドイツ) 英国 (内地) と 米国 (外地) 。という表現をしているのですが、西洋でも東洋でも「政治 > 商業』という商業軽視の歴史が存在していた。時とともに → 同じ宗派 〜 体制的 (政治的) と 抵抗的 (商業的) そうした歴史を繰り返している そのように思えて来ました →
政治はどこを、
商業はどこに。
そうした視点で見てみようと思います
―→
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