2024/09/12
1945年
第二次世界大戦後、GHQ (連合国最高司令官総司令部) の職員が来日。その中に米国人デザイナーのレイ・パスティンがいました。
パスティンは日本各地を出歩き 藁 (ワラ) で作られた「草履 (ゾーリ) 」と呼ばれる不思議な履物を見つけた そこでパスティンは「藁草履」を『ゴム草履』にする計画を建てたといいます。
1952 (昭和27) 年、
パスティンは「履物の里」と知られる兵庫県を訪れ、当地の神戸市長田区にあるゴム製造会社と試行錯誤の末、ゴム草履の『商品化』を実現。
(・・; ところが
その商品 (ゴム草履) は米国ではまったく売れなかったという。
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あれから数年後、
その商品 (ゴム草履) はハワイの日系移民や米軍統治下の沖縄では 飛ぶように売れたと云われています
… ハワイでは →
ゴム草履 (flip-flops / フリップフロップ) 。
… 沖縄では →
島人・島猫・島唄・島言葉・島酒・島豆腐・島らっきょう・島唐辛子・島?・など。地元に根付いて定着した物を『島』という文字を付ける事があるので、ゴム草履も『島草履』と呼ばれるようになったと云われています。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E3%81%9E%E3%81%86%E3%82%8A
沖縄の島ぞうり (ゴム草履) は県産品ではなく、 1950年代 〜 神戸市長田区のゴム会社で製作されていたけど、阪神・淡路大震災とき工場閉鎖後は台湾製の島ぞうり (ゴム草履) が主流に。
沖縄の島ぞうり (ゴム草履) は県産品ではなく、 1950年代 〜 神戸市長田区のゴム会社で製作されていたけど、阪神・淡路大震災とき工場閉鎖後は台湾製の島ぞうり (ゴム草履) が主流に。
またまた
台湾 〜 東南アジア各国 → 米国 (逆輸出?) など ゴム草履は普及するようになったようです。
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神戸市長田区はビーチサンダルの発祥地になっており そのビーチサンダルの形も島ぞうり (ゴム草履) の形と似ているように見えます。
琉球 (むかし沖縄) では、
竹や椰子・アダン葉で作られた草履が見られるも、それは王族や士族階級の高貴な履物で庶民的な履物ではなかった。
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琉球時代の庶民は裸足文化、
明治12年の琉球処分後 〜 首里市では履物が見られるようになるも、那覇市や その他の町村では、昭和の時代でも裸足文化が主流であったようです。
1941 (昭和16) 年に裸足禁止令が出るまで、沖縄県では6〜7割ほど裸足文化が見られたといいます。
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沖縄県では、
1941年に裸足禁止令が出るも、
1945年の戦後に 再び裸足文化が見られるようになった。
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自分の父さん (昭和19年生) も裸足で小学校に通っていたといいます。
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戦中戦後に沖縄で撮られた白黒写真のカラー化に取り組むホリーニョさん →
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(・・? 意外にも?
沖縄の庶民は『裸足文化』の歴史が長く、
米国人デザイナーのレイ・パスティンが考案したゴム草履は米国では売れなかったけど ⇔ ハワイの日系移民や米軍統治下の沖縄では 飛ぶように売れたと云われています。
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