2025/01/23
日本酒の発祥地を調べると
3国のどちらか?との情報が出て来ました。
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日本酒の原料は「水と米と酵母と麹」。麹 (カウヂ / こうじ) はカビの1種で、麹に関する古文献は『播磨国風土記』に見られるといいます。
.播磨国風土記には、米に生えたカビ ⇆ カビ立ちを「加無太知 (カムタチ / 加牟多知) 」→ カムチ → カウチ → カウヂ → 麹 (こうじ) に転じた。と云う。.
古代より播磨国は、
出雲文明と大和文明の交差点で『兵 (ツワモノ) の庫』とも呼ばれていたので、播磨国に鍵 (カギ) が隠れているように思います。.
「武士と兵士」『軍隊と兵隊』は意味が異なる。兵 (ツワモノ) は臨時的・兼業的・招集的・等の意味も含まれているので、多方面から多種多様な職人が集まる。
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古代の播磨国は江戸時代の北海道とも似ています。屯田兵 (開拓民) も多種多様な職人と多方面の出身者を云われています。
.播磨国は兵的な防人部 → 久米部と佐伯部の交差点でもあった。
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古代史関連本には、
西国の倭人は久米部 ⇔ 東国の毛人 (えみし / 蝦夷) は佐伯部。多くいたと記載。
久米部と佐伯部は防人部 (←兵) ような職業部で、大きな伴造部 ⇆ 大伴氏は軍事的な氏族。大友家持の歌にも『久米の・佐伯の・』と、見られます。
古代の播磨国司 →
伊予来目部小楯 (いよノくめべオダテ) は、伊予国久米郡の人 (久米部) で播磨国司になっていました。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%BA%88%E6%9D%A5%E7%9B%AE%E9%83%A8%E5%B0%8F%E6%A5%AF
❇来目部 = 久米部.古代に東国の毛人 (えみし / 蝦夷) が播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の5ヶ国に送られ、佐伯部 (←兵) に。との文献も見られます。
讃岐国出身の弘法大師・空海の幼名は佐伯真魚で、父親が東国出身の佐伯部と云われています。
遣唐船の大使 →
佐伯今毛人 (さえきノ今えみし) も祖先は東国出身の毛人 (えみし / 蝦夷) ⇆ 佐伯部と思われます。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E4%BB%8A%E6%AF%9B%E4%BA%BA
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そのほか、
播磨佐伯阿我乃古 (はりまサエキあがのこ)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E9%98%BF%E4%BF%84%E8%83%BD%E8%83%A1など。
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(・・? 神戸は摂津国?
播磨国の中心地は姫路だと云う。
白国は新羅国を由来 →
朝鮮半島は新羅 (シルラ / しらぎ) の前身は秦韓 → 斯蘆 (しろ) 国 であったので、日本では新羅と縁ある地は白国・白城・白髭・白?・など。云われています。
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播磨国風土記・枚野里の条には、
新羅訓村 (しらくにむら) に枚野里あり、むかし新羅系の秦人 (はたびと) が渡来して‥‥と記され、枚方 (ひらかた) と名づる所以は、河内の国、茨田郡の枚方の里から百済系の漢人 (あやぴと) 来たりて、初めてこの村に居りき‥‥とあり、その昔、百済系の漢人 (あやぴと) が枚野里新羅訓村 (姫路市白国) に移ったことを伝える記述もあるという。
河内国枚方市 (のち摂津国枚方市) には、漢人 (あやぴと) の百済王氏 (くだらノこにしきシ) が住まい。1部の漢人 (あやぴと) が播磨国に移住と云う。
.上記文から 播磨国は新羅系の秦人 (はたびと)
百済系の漢人 (あやぴと) の交差点であったようにも見えます
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播磨国の姫路は、古くから皮革産業が盛ん。現在『姫路白なめし革細工』は県指定伝統工芸品と云う。他に、白靼、古志靼、越靼など‥異名があり、古志や越は、日本海は出雲国古志村に因んだとも、越の国 (北陸地方) から皮革産業を営む人々が始め同じく日本海は但馬国の円山川にて試製せしも水質適さず。依って南下し瀬戸内海・播磨国に入り、移り住んだという伝承があるといいます。
.播磨国風土記・揖保郡麻打山の条には、
但馬国の人・伊頭志君麻良比 (出石 / イズシのキミまらひ) がこの山に家をつくって住んでいた。また「阿宗君が麻苧 (あさお) につまづいた」とある。
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阿宗君は阿蘇氏・安宗氏など。鉱山氏族・多氏の分家と思われ、中央構造線とフォッサマグナの断層上には阿蘇村・阿宗郷など。多く見られるようです。


… 南北朝時代
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尊良親王は越の国、義良親王 (後の後村上天皇) は摂津国住吉、護良親王は南朝の征夷大将軍。宗良親王は常陸国 〜 信濃国に、懐良親王は肥後国八代など。多くの皇子を自身の分身として全国各地に派遣していました。
播磨国の姫路城は南北朝時代に赤松氏によつて築城 後ほど黒田氏によつて改築されているようです。







『佐久の花 / 熊本酵母山田錦』という日本酒が登場します。佐久の花は信濃国、熊本酵母は肥後国、山田錦は播磨国を由来する名称になっているようです。
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酒米の発祥地を調べると
4国のどちらか?との情報が出て来ました。
黒田家の発祥地は播磨国か近江国。
伝承によると、播磨国明石郡黒田村 〜 近江国伊香郡黒田村に移り住み。後ほど、越の国 → 吉備国 → また播磨国に? 黒田官兵衛は播磨国の姫路で生まれ、幼少期は吉備国で過す。成人期は豊の国と筑紫国を拠点に活動。
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『福岡県 (筑紫国と豊の国) 』の語源は、
黒田官兵衛の子 → 黒田長政が初代・福岡藩主とき、吉備国邑久郡福岡村を由来としているようです。
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黒田官兵衛は、もと切支丹大名で、同じく
切支丹大名の高山右近、蒲生氏郷と接点ある人物。 豊臣秀吉のバテレン追放令とき棄教。
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… 筑紫国には
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小倉藩 (細川氏) と福岡藩 (黒田氏) 時代があったようです。
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父・細川幽斉と黒田官兵衛 →
子・細川忠興と黒田長政です。
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細川忠興の妻・細川たま (ガラシャ) は明智光秀の娘。細川たまは天主教徒で洗礼名はガラシャ。
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詳しくは解りませんが、
関ヶ原戦い後の筑紫国と豊の国の領地権で小倉藩主・細川忠興と福岡藩主・黒田長政は 犬猿の仲
あったようです。
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おそらく?それも徳川家による分断統治?思われます。
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✽牛込区?8人の王子?牛頭天王?




「海』は「壁」ではなく『道』であった。




八代城も姫路城も もと切支丹大名と縁ある時代もあった。小西行長、黒田官兵衛、など。
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読み方は異なるけど、
八代城の別名は白鷺城、
姫路城の別名は白鷺城。
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高山右近は摂津国の妙見山で育ったと云われています。

『江戸城 ≒ 姫路城』という放送もしていたようです。


… その源泉は
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