2020/05/24
1976年、
ピンクレディー (歌手) のペッパー警部という曲が発売され、大ヒットしていました。
ー 曲の逸話について ー
この曲が発売された頃、ロッキード事件が世間を賑わしていたため、政治家の逮捕劇を想定して書いたのかと? よく聞かれたが・・。
ペッパー警部は;政治家の逮捕劇とは無関係で、当時 流行していたピンクパンサーのクルーゾー警部や Dr.ペッパー (飲料水) などの用語を組合せた『ひらめき』との事。
1976年、
(・・? ピンクレディーの胡椒警部
ペッパーは胡椒やペルシア系のソグド商人 (胡人) とは関連ないようですが、ピンクの『P音』は あの時の『ピン』と関連しているようです。https://www.asaobo.jp/news/1033
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… 世界の商業史 →
7世紀前半までペルシア系のソグド商人 (胡人) たちがシルクロードの東西交易に。
8世紀 ~ イスラム教徒のムスリム商人たちが活動。
16世紀 ~ スペインとポルトガル → 17世紀からオランダが台頭し → 英国 ⇔ 仏国 → 米国へと移り変わります →
17世紀 / メイフラワー号に乗って『新天地』を求めてピューリタンたちが新大陸 (米国) へ旅立ちました。
その お話は「建国神話」的な1面を持っており、実際にはピューリタンとは関係ない投資家や商工業者 (ユダヤ商人) たちも半数以上乗っており、さらにE欧各国の貴族層による植民地経営も始まっていたようです。
ー 17世紀前半はオランダの時代 ー
17世紀 ~ 台頭した商業国家・オランダは、東インド会社や西インド会社といった世界規模の貿易 / 商業を行う植民地経営を行うようになり、スペインやポルトガルの植民地経営を脅かすようになって行きます →
オランダの商業都市・アムステルダムは、世界の商業・金融の中心地になり、新大陸 (米国) にもニューアムステルダムという商業・金融都市を建設。
…商工業者たちの →
本店はアムステルダム (蘭国)、
支店はニューアムステルダム (米国)。
その後、英蘭戦争 (イギリスとオランダ) 後 →
*ニューアムステルダム → ニューヨークに。
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桃色 (ピーチ色) のE欧への普及は ペルシア系のソグド商人 (胡人) でした。https://www.asaobo.jp/blog/1076
… 一説によると →
ピンク色をE欧へ普及させたのはオランダ商人 または、オランダ系ユダヤ商人? とも云われています。
桃色 (ピーチ色) は桃の花 ピンク色は撫子 (ナデシコ) の花の『色 / 形』を由来としているようです。
… E欧において →
桃色 (ピーチ色) の歴史は古く ピンク色の歴史は浅く、17世紀 / オランダの時代 ~ と云われています。
ピンク色はオランダ商人が日本から持ち帰った撫子 (ナデシコ) の花の『色 / 形』を由来としており、英語圏では「Sweet William」または、単に『pink』とも呼ばれているようです。
やはり、ピンクの『P音』は あの時の『ピン』と関連しており、オランダ語の pinkje (ピンチェ / 小指) が 英語の pinky (ピンキー / 小指) など。『ピン』は「小さい / 細かい」を表現する事もあり、ピンセットの『ピン』も同様の意味といいます。
ピンセット(オランダ語: pincet、英語: tweezers)とは、微細な物を挟む道具。
撫子 (ナデシコ) の花弁 (はなビラ) は ピンキングバサミ (ギザギザ挟み) でカットされた様に見える事から、単に pink / ピンク ?
ー?→
桃色 (ピーチ色) のE欧への普及は7世紀・ ペルシア系のソグド商人 (胡人) pink / ピンク色 のE欧への普及は 17世紀・ユダヤ系のオランダ商人? との説もあるようです。
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