2020/07/28
沖縄県糸満市は、
沖縄島の南端に位置しています。
市の名産品はニンジンやキクなど。
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市名は「8人のドンドン人」を由来、
ドンドン語の8人 (エイトマン) が糸満 (いとまん) に云われています。
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昭和の終わり頃 ~
ドンドン人はロンドン人 (英国人) と解釈されようになったといいます。
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(・・? イトマン いうと?
スイミング school との関連性を問われる事が多いけど、スイミング school とは無関係。とはいえ、スイミング school で使用される「水中メガネ」は糸満 (いとまん) を発祥地? いう説もあります。
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ミーカガンとは、水中メガネの一種。19世紀末に糸満の海人・玉城保太郎 (たまぐすく やすたろう) によって発明された。
今日でも、台湾やフィリピンの1部海人はミーカガン (水中メガネ) を愛用していると云われています。
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今日では、 糸満市は 農産品や戦跡地などで知られていますが、歴史書では「海や船・移動」などに関する事が主なキーワードになっています。
「海や船・移動」などに光 (スポ) ットすると 幅広く 思いがけない世界と結び付く事も考えられます。
史書でも、糸満の海人は「北は奄美諸島 ~ 南は宮古諸島や八重山諸島などに多く移住した」記載されています。その反対に ⇔ 他島 (タシマ) から糸満に移住して来た人々もたくさん思われます。
*糸満は移住の里
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「通説」に『もう説』加えて、糸満史を紐解いて見ようと思います。
… もう説とは? →
「もうそう」と仮説 →『もう説』です。
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糸満市の入口には、阿波根 (あはごん) という部落があります。
阿波根部落には「むーとぅ ヤ なちじん」という口承があり、根元 (むーとぅ) ≒ 祖先は今帰仁 (なちじん / なきじん) との意味があるようです。
今帰仁村は、
沖縄島の北 → 山原 (ヤンバル) と呼ばれる地域にあり、糸満市とは車で3時間ほど離れています。
沖縄島の南端にある糸満市の入口 ← その「根元 (むーとぅ) ≒ 祖先」は北方の山原 (ヤンバル) ? 不思議お話です。
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中山国の尚巴志は、北山国の本店・今帰仁城を亡ぼし → 次いで → 南山国の本店・島尻大里城 (南山城) をも滅ぼします →
その時代ころ ~
北山国の本店・今帰仁城から落ち延びた人々が糸満市阿波根に移り住んだ? という説があり、今でも、阿波根部落には「根元 (むーとぅ) ≒ 祖先は今帰仁 (なちじん / なきじん) 」との伝承があるようです。
彼らは、阿波根城を拠点として塩作りをしていました。
塩平城 (すんじゃグスク) の築城中
中山国 (首里) の尚巴志は、今度は南山国 (糸満) の島尻大里城 (南山城) をも滅ぼします。
当時、阿波根と塩平、2つ部落とも南山国の拠点でありましたので、塩平城は未完成のまま消えて行きました。
幻の塩平 (すんじゃ) 部落は、後ほど「潮平 (しおひら) 」と呼ばれ、今でも『潮平イビ』という御嶽 (うたき) では、潮平の氏神である北山の守護神・北山城 (今帰仁城) を揺拝し、豊年祭もこの御嶽前で行われているといいます。
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