第1回 もう説の糸満史

沖縄県糸満市は、
沖縄島の南端に位置しています。

市花は日日草、市木はガジュマル。

市の名産品はニンジンキクなど。

夜の街 ネオン輝く町と知られています 流れ星


ー・→

市名は「8人のドンドン人」を由来、
ドンドン語の8人 (エイトマン) が糸満 (いとまん) に云われています。

8人のドンドン人は遭難した船員で、8人のドンドン人 → 8まん → エイトまん → イトまん → 糸満に。


ー・→

昭和の終わり頃 ~ 
ドンドン人ロンドン人 (英国人) と解釈されようになったといいます。


ー?→

(・・? イトマン いうと?
スイミング school との関連性を問われる事が多いけど、スイミング school とは無関係。とはいえ、スイミング school で使用される「水中メガネ」は糸満 (いとまん) を発祥地? いう説もあります。


ダンプカー―…ご迷惑をおかけします―…ご迷惑をおかけします工事中

ミーカガンとは、水中メガネの一種。19世紀末に糸満の海人・玉城保太郎 (たまぐすく やすたろう) によって発明された。

今日でも、台湾やフィリピンの1部海人はミーカガン (水中メガネ) を愛用していると云われています。



ダンプカー―…ご迷惑をおかけします―…ご迷惑をおかけします工事中

今日では、 糸満市は 農産品や戦跡地などで知られていますが、歴史書では「海や船・移動」などに関する事が主なキーワードになっています。

「海や船・移動」などに光 (スポ) ットすると ひらめき電球 幅広く 長音記号2 思いがけない世界と結び付く事も考えられます。

史書でも、糸満の海人は「北は奄美諸島 ~ 南は宮古諸島や八重山諸島などに多く移住した」記載されています。その反対に ⇔ 他島 (タシマ) から糸満に移住して来た人々もたくさん思われます。
*糸満は移住の里

↓ ここから先 ↓
「通説」に『もう説』加えて、糸満史を紐解いて見ようと思います。

ご迷惑をおかけします もう説とは? ご迷惑をおかけします
「もうそう」と仮説  →『もう説』です。



ー↓─━ドア─扉─ドア━─↓ー



糸満市の入口には、阿波根 (あはごん) という部落があります。

*古名は安波根

阿波根部落には「むーとぅ ヤ なちじん」という口承があり、根元 (むーとぅ) ≒ 祖先は今帰仁 (なちじん / なきじん) との意味があるようです。

今帰仁村は、
沖縄島の北 → 山原 (ヤンバル) と呼ばれる地域にあり、糸満市とは車で3時間ほど離れています。

沖縄島の南端にある糸満市の入口 ← その「根元 (むーとぅ) ≒ 祖先」は北方の山原 (ヤンバル) ? 不思議お話です。

ー(・・? ー?→

3山国うち、
中山国 (本店は首里城) の尚巴志が『琉球国』を統一しました。

中山国の尚巴志は、北山国の本店・今帰仁城を亡ぼし → 次いで → 南山国の本店・島尻大里城 (南山城) をも滅ぼします →

その時代ころ ~
北山国の本店・今帰仁城から落ち延びた人々が糸満市阿波根に移り住んだ? という説があり、今でも、阿波根部落には「根元 (むーとぅ) ≒ 祖先は今帰仁 (なちじん / なきじん) 」との伝承があるようです。

彼らは、阿波根城を拠点として塩作りをしていました。

しだいに人口が増えてくると、となり部落に塩平 (すんじゃ) 村を作り、新たな拠点・塩平城を築城する事に。

カゼ 塩平城 (すんじゃグスク) の築城中 あせる
中山国 (首里) 尚巴志は、今度は南山国 (糸満) の島尻大里城 (南山城) をも滅ぼします。


当時、阿波根と塩平、2つ部落とも南山国の拠点でありましたので、塩平城は未完成のまま消えて行きました。

幻の塩平 (すんじゃ) 部落は、後ほど「潮平 (しおひら) 」と呼ばれ、今でも『潮平イビ』という御嶽 (うたき) では、潮平の氏神である北山の守護神・北山城 (今帰仁城) を揺拝し、豊年祭もこの御嶽前で行われているといいます。 

糸満市の入口 → 阿波根と潮平 ← 南だけど ⇔ 北 ☆ 不思議お話です。


ー 流れ星 →


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です