第1回 前の国 と 後ろ国

テレビ 再もうそう →

数年前、
関祐二氏の本に「こんな感じ文』が載っており、とても印象に残りました。

   ―↓―↓―

どうして?
多くの日本人は「大和魂」と言うけど  ⇔『山城』とは言わないのか?  →「ヤマトなでしこ」言うも  ⇔『ヤマシロなでしこ』言わない。

 ⇔ その一方、
1度は訪れたい町ランキングでは、
『京都府 (山城国 / 丹の国) 』が1位になる事多く  ⇔「奈良県 (大和国) 」は場合によつて、北海道や沖縄県よりも・・?。

   ―↑―↑―

ご迷惑をおかけします 一説によると ご迷惑をおかけします
山城国の語源は『後ろの国』?
山の背 (うし) ろ → 山背 (やま後ろ) → 山城 (やましろ) に 。云われています。

『山城国』→『後ろ国』?
   ⇔
「大和国」→「前の国」?

(・・? どうやら?
古代は山背国『後ろ国』⇔  大和国「前の国」?
中世は山城国「前の国」⇔  大和国『後ろ国』?
なっていたようです。

ご迷惑をおかけします そしてここでは ご迷惑をおかけします
前の国」→「礼的→儒教的」、
後ろ国』→『霊的→道教的』。
と考えて見ました。

―(・・? ―?→

古代の日本には、
礼的」→  政治的 (儒教的) な権力者、
霊的』→  祭祀的 (道教的) な権力者。
2タイプおり てんびん座 主に 藤原氏礼的権力者葛城族 (賀茂氏など) が霊的権力者になっていたようです。

(・・? 藤原氏とは?
日本の貴族で古代の政治家、藤原氏は天皇家と外戚関係を結び 長音記号2 摂関政治を行っていた事で知られています。

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詳しくは解りませんが、
葛城族は1つの氏族ではなく、藤原氏以前に大王 (おおきみ) 家と外戚関係を結んでいた一族で 長音記号2 賀茂氏や三輪氏・平群氏?巨勢氏?蘇我氏?橘氏?犬養氏?など。歴史の敗者とも云われています。

―?→

むかし大和国では、

「葛城朝」~『三輪朝』に王朝交替 (政権交代) が起きていたようです。

林屋辰三郎氏によると、
10代・崇神帝 (三輪王朝) が始まると、これまでの「葛城王朝」は、大和国から山背国 (南山城) に隠凄して亡命政権を築いた。その時、勝者 (三輪朝) は敗者 (葛城朝) から女性の后妃を迎え、敗者 (葛城朝) は新たな住まい → 南山城で「かも神」に通じ。平安時代ころ「かも神」は『上賀茂社と下鴨社』に。といいます。

 

↑後ほど↓
歴史の勝者・三輪氏も敗者となり → 葛城族に。

 (カズラ) はツル性の植物 → 
ツルとツルが絡まる → 歴史の敗者敗者絡まるグローバる1族 ? 思われます。

葛城氏の全盛期は5世紀の応神朝ころ、
葛城氏は秦氏とも絡まり 長音記号2 ともに祭祀的な1族と云われています。



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5世紀の応神朝ころ、
秦 (はた) 氏と漢 (あや) 氏が日本にやって来ました。

秦氏と漢氏は、政治や祭祀 (経済) に関わる渡来人で、1度に1方向から来たのではなく中国大陸や朝鮮半島での「政変 / 戦乱」を機に、時間差でやって来たようです。

よく云われるのは、
東漢 (やまとのあや) 氏は大和国に、西文 (かわちのふみ) 氏は河内国に、秦 (はた) 氏は山の後ろ → 山背 (やまうしろ / 山城) 国に多く住んでいたと云われています。
*東漢氏と西文氏は漢氏

また、秦氏と漢氏は絹とともに渡来し、古代の職業部 → 服部 (ハトリベ) は秦氏の機 (ハタ) 織り てんびん座 綾部 (アヤベ) は漢氏の綾 (アヤ) 織りと縁あるといいます。

(・・? 複雑お話?
京都府 (山城国) は秦氏の国、
   ⇔
京都府 (丹の国) は漢氏の国。
との古文献も見られます。

主に 秦氏は山城国と播磨国、漢氏は大和国と河内国・丹の国を拠点に云われています。

また、秦 (はた) 氏と漢 (あや) 氏の渡来以前に、倭人 (呉族と越族) が日本に渡来し 長音記号2 葛城族と深く関連していたようです。


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(・・; 内容はダイブ飛んでいますが;
秦氏と漢氏が日本に渡来した5世紀の応神朝ころ、葛城氏の全盛期でした。

ご迷惑をおかけします  ヤマト王権の主導豪族 ご迷惑をおかけします
葛城族 (賀茂氏など) → 大伴氏 → 物部氏 → 蘇我氏 → 藤原氏 → 平家 (6ヶ月ほど) → 藤原氏 → 続いています →

奈良の東大寺・大仏建立をした聖武天皇は、遷都マニア? 情緒不安定? 短期間 / 5年間で何度も遷都を繰り返す「聖武の彷徨」を云われています。


聖武天皇は、

741年に平城京から恭仁京(葛城族の拠点)に遷都 → 続いて、744年に難波宮へ → 745年に紫香楽宮 → 同じ年に平城京へと戻っています。

していたとも

 (かっとう) ← 聖武天皇は城氏の子で てんびん座 原氏の子でありました。

―(・・? ―?→

奈良は大仏建立時代の聖武天皇と光明皇后は、ともに てんびん座 藤原氏の子であり葛城族 (賀茂氏など) の子でもあったようです。
聖武天皇の母・宮子は藤原不比等(藤原氏)と賀茂氏(葛城族)の子 てんびん座 聖武天皇の后・光明子は藤原不比等(藤原氏)と県犬養橘三千代葛城族)の子。

ひらめき電球 重要人物 →
県犬養橘三千代 (アガタいぬかいタチバナみちよ) さんは てんびん座 葛城族橘氏の祖。

県犬養三千代 ≒ 橘三千代の子は橘諸兄 (葛城王)

* 葛城王が臣籍降下 → 橘氏に。

―?→

(・・? 詳しくは解りませんが?
犬養氏と橘氏葛城族になるようです。

【関連かも情報】

いわば!? 聖武天皇と光明皇后は、
近親婚で藤原氏の子で てんびん座 葛城族の子 →
藤 (とー) さんの子」であり  てんびん座葛 (かー) さんの子』でもあったので「 (かっとう』していたのかもしれません


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8世紀に入ると、
大和国平城京山城国平安京に遷都するのですが、その時代にも』は続きます →

「平安時代」『不安時代』で「平安の京 (みやこ) 」は『不安京 (みやこ) 』でありました。そのため、本当は不安だけど平安を願い「平安京』という名前にしたといいます。

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794年 / 平安時代、
50代・桓武天皇 → 51代・平城 (へいぜい) 天皇 → 52代・嵯峨 (さが) 天皇 → 53代・淳和 (じゅんな) 天皇 → 続きます →
(・・? 51代・平城 (へいぜい) 天皇は、
山城国平安京 ~ 大和国平城京 (へいぜいキヤウ) 再遷都を試みたが ⇔ 阻止され、52代・嵯峨 (さが) 天皇 → 平安時代は続きます →

―?→

桓武天皇の第1皇子は平城 (へいぜい) 天皇、第2皇子は嵯峨 (さが) 天皇。← 同母兄弟。

桓武天皇の第3皇子は葛原 (かずらわら) 親王。← 異母兄弟。

葛原 (かずらわら) 親王葛城氏腹 (はら / 原) から生まれた親王と云われています。
葛原 (かずらわら) 親王の子孫が、桓武平氏 → 坂東平氏・秩父平氏・伊勢平氏など「武家の始まり」にも通じ「平氏 / 平家」と呼ばれて行きます →
* 桓武平氏は桓武天皇の武士的な子孫。



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その昔、平将門は東国で反乱を起こします。
 雷 雷 雷 雷 爆弾 むかっ
平将門の乱は平氏と平氏 ← 同族間の内乱

ー?→

平将門の父・平良将は、
下総国の北西部を中心に勢力範囲を広めていたようです。

平将門の父・平良将の父親は高望王 (平高望) 、
高望王の父親は葛原 (かずらわら) 親王で、臣籍降下して高望王 → 平高望に。

平高望の妻は橘春成 (橘氏) 。

目 高望王 (平高望) の父も妻も葛城族であった事が解ります 目

* 高望王 (平高望) 桓武平氏の祖

そのため高望王 (平高望) も、
葛城族の子で てんびん座 藤原氏の子 →
葛 (かー) さんの子』であり  てんびん座藤 (とー) さんの子」でもあったので「』は東国にも伝播していました

―(・・? ―?→

話しを平将門の乱に戻して → 
高望王 (平高望) の三男平良将 亡き後、高望王 (平高望) の長男平国香三男平良将の領地を脅かすようになり。そこで、反発したのが 平良将の息子・平将門であったといいます。

平将門の乱重要人物!?
平将門の味方をしたのが千葉氏の祖・平良文であったという。

ご迷惑をおかけします 言い伝えよると ご迷惑をおかけします
平将門の乱のとき、千葉氏の祖・平良文平将門の味方をしたと伝承があり、その時の霊的エピソード千葉氏の家紋 夜の街 月星紋 流れ星 に結び付くと云われています。
千葉氏の祖・平良文を縁とする月星信仰は『霊的→道教的』な信仰


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当時の家庭環境はてなマーク 家柄 (血筋) の事を考えて見ると? 気になる事がありました。

桓武天皇の孫が桓武平氏・高望王 (平高望) →
平高望正室藤原良方の娘側室藤原範世平国香、平良正、平良将、平良兼は正室の子 ⇔ 平良文は側室の子でありました。

平将門の父・平良将 (正室の子) と千葉氏の祖・平良文 (側室の子は異母兄弟で、平良将三男であった事。そして、妻の名前も気になります。

平良将の妻で平将門の母の名前は県犬養春枝の娘 ← 橘氏でありました。
県犬養氏 ≒ 橘氏 ≒ 葛城族

―(・・? ―?→

当時は比較的 →


長男正室は「礼的儒教的」、

次男側室は『霊的→道教的』。
に傾く事が多く見られたようです。

平将門の父・平良将正室三男で てんびん座 千葉氏の祖・平良文側室の子でありましたので、霊的 → 道教的月星信仰を活用していたようにも見られます。

また、平将門の母親は県犬養春枝の娘 ← 橘氏 ≒ 葛城族でありました。

ご迷惑をおかけします もう一度 ご迷惑をおかけします
古代の日本には、
礼的」→  政治的 (儒教的) な権力者、
霊的』→  祭祀的 (道教的) な権力者。
2タイプおり てんびん座 主に 藤原氏礼的権力者 ⇔ 葛城族 (賀茂氏など) が霊的権力者になっていたようです。

―(・・? ―?→

平将門千葉氏の祖・平良文霊的権力者葛城族と縁が深く、平将門の拠点は下総国猿島郡石井  (いわい / 岩井) という所で 目 猿島郡という文字は猿田彦と関連しているようにも見えるし てんびん座 そのとなり下総国葛飾郡という文字も葛城族と関連しているように見えます 目

下総国葛飾郡は、
今日の茨城県・埼玉県・千葉県・東京都に絡まる郡であったようです。
―!?→

(・・!? 驚きべく事?!
下総国葛飾郡には愛宕駅があるといいます。

一説によると、愛宕 (あたご) 「阿多の子」を語源とし、古代の鵜飼部や犬飼部と縁あると云われています。

ご迷惑をおかけします もう一度 ご迷惑をおかけします
上記の文を見てみました。

   ―↓―↓―

秦 (はた) 氏と漢 (あや) 氏の渡来以前に、倭人 (呉族と越族) ≒ 海部族が日本に渡来し 長音記号2 葛城族と深く関連していたようです。


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一説によると、
愛宕 (あたご) 「阿多の子 (海部族) 」を語源とし、葛城族の側で働いていた古代の職業部 → 鵜飼部や犬飼部と縁あり、芸能神・猿田彦「阿多の子」と云われています。

―(・・? ―?→

山城国には兄の国と弟の国 →
古い文献 (木簡) には、山城国葛野郡が兄国、山城国乙訓郡が弟国。と記され、後ほど、長岡京は弟の国 (乙訓郡) 、平安京は兄の国 (葛野郡) と 愛宕郡 にまたがる地にあったといいます。


愛宕地名は国と国の『境界線』に多く見られ、愛宕山も山城国と丹の国の国境にある信仰の山と知られているようです。

(・・? 愛宕山にははてなマーク
愛宕太郎坊がおり、たろうぼう は天狗界のトップと云われ。愛宕太郎坊 を 猿田彦 (佐太彦) の化身とする お社もあるといいます。

愛宕太郎坊天狗界のトップ、

天狗 ≒ 猿田彦 (佐太彦) は天の狗 (いぬ / 犬) 。

猿は去る?
犬は居ぬ? ← いない。

ご迷惑をおかけします 古代では ご迷惑をおかけします
商的な物軍的な物は てんびん座 霊的な物と密接関係あったと云われています。

例えば、
国と国の境界線では市 (いち) が開かれる事多く。また、国と国の境界線は緊張が走り不安を伴う事もあったようです。

市には旅芸人もやって来て人々を楽しませていたと云う。また、その芸には人々の不安を猿 (去る) てんびん座 犬 (居ぬ) とか? 霊的な芸も含まれていたようです。

―;→

(・・; 毎度こと;
長文駄文になっております;

関連かも情報?
https://kotobank.jp/word/%E8%B3%80%E8%8C%82%E6%B0%8F-46903
かも氏

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B9%E5%B0%8F%E8%A7%92
役小角
飛鳥時代の人、役小角の本名は賀茂氏、
* 葛城系賀茂氏

役小角の住まいは大和国葛上郡
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E4%B8%8A%E9%83%A1
大和国上郡

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%87%8E%E9%83%A1
山城国野郡

一説によると、
大和国上郡 ~ 山城国野郡に引越した霊的関係者たちがいた? と云う。



竹。。



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