2021/09/27
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どうして?
多くの日本人は「大和魂」と言うけど ⇔『山城魂』とは言わないのか? →「ヤマトなでしこ」言うも ⇔『ヤマシロなでしこ』言わない。
⇔ その一方、
1度は訪れたい町ランキングでは、
『京都府 (山城国 / 丹の国) 』が1位になる事多く ⇔「奈良県 (大和国) 」は場合によつて、北海道や沖縄県よりも・・?。
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… 一説によると →
山城国の語源は『後ろの国』?
山の背 (うし) ろ → 山背 (やま後ろ) → 山城 (やましろ) に 。云われています。
『山城国』→『後ろ国』?
⇔
「大和国」→「前の国」?
(・・? どうやら?
古代は山背国『後ろ国』⇔ 大和国「前の国」?
中世は山城国「前の国」⇔ 大和国『後ろ国』?
なっていたようです。
… そしてここでは →
「前の国」→「礼的→儒教的」、
『後ろ国』→『霊的→道教的』。
と考えて見ました。
―(・・? ―?→
古代の日本には、
「礼的」→ 政治的 (儒教的) な権力者、
『霊的』→ 祭祀的 (道教的) な権力者。
(・・? 藤原氏とは?
ー―…―…→→
詳しくは解りませんが、
―?→
むかし大和国では、
「葛城朝」~『三輪朝』に王朝交替 (政権交代) が起きていたようです。
林屋辰三郎氏によると、
10代・崇神帝 (三輪王朝) が始まると、これまでの「葛城王朝」は、大和国から山背国 (南山城) に隠凄して亡命政権を築いた。その時、勝者 (三輪朝) は敗者 (葛城朝) から女性の后妃を迎え、敗者 (葛城朝) は新たな住まい → 南山城で「かも神」に通じ。平安時代ころ「かも神」は『上賀茂社と下鴨社』に。といいます。
↑後ほど↓
歴史の勝者・三輪氏も敗者となり → 葛城族に。
葛城の葛 (カズラ) はツル性の植物 →
ツルとツルが絡まる → 歴史の敗者と敗者が絡まる → グローバる1族 ? 思われます。
葛城氏は秦氏とも絡まり ともに祭祀的な1族と云われています。
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秦 (はた) 氏と漢 (あや) 氏が日本にやって来ました。
秦氏と漢氏は、政治や祭祀 (経済) に関わる渡来人で、1度に1方向から来たのではなく中国大陸や朝鮮半島での「政変 / 戦乱」を機に、時間差でやって来たようです。
よく云われるのは、
東漢 (やまとのあや) 氏は大和国に、西文 (かわちのふみ) 氏は河内国に、秦 (はた) 氏は山の後ろ → 山背 (やまうしろ / 山城) 国に多く住んでいたと云われています。
*東漢氏と西文氏は漢氏
また、秦氏と漢氏は絹とともに渡来し、古代の職業部 → 服部 (ハトリベ) は秦氏の機 (ハタ) 織り 綾部 (アヤベ) は漢氏の綾 (アヤ) 織りと縁あるといいます。
(・・? 複雑お話?
京都府 (山城国) は秦氏の国、
⇔
京都府 (丹の国) は漢氏の国。
との古文献も見られます。
主に 秦氏は山城国と播磨国、漢氏は大和国と河内国・丹の国を拠点に云われています。
また、秦 (はた) 氏と漢 (あや) 氏の渡来以前に、倭人 (呉族と越族) が日本に渡来し 葛城族と深く関連していたようです。
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(・・; 内容はダイブ飛んでいますが;
… ヤマト王権の主導豪族 →
奈良の東大寺・大仏建立をした聖武天皇は、遷都マニア? 情緒不安定? 短期間 / 5年間で何度も遷都を繰り返す「聖武の彷徨」を云われています。
741年に平城京から恭仁京(葛城族の拠点)に遷都 → 続いて、744年に難波宮へ → 745年に紫香楽宮 → 同じ年に平城京へと戻っています。
*葛藤していたとも
↑葛藤 (かっとう) ← 聖武天皇は葛城氏の子で 藤原氏の子でありました。
重要人物 →
―?→
(・・? 詳しくは解りませんが?
【関連かも情報】
いわば!? 聖武天皇と光明皇后は、
「藤 (とー) さんの子」であり 『葛 (かー) さんの子』でもあったので「葛藤 (かっとう) 』していたのかもしれません。
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8世紀に入ると、
大和国の平城京 ~ 山城国の平安京に遷都するのですが、その時代にも「葛藤物語』は続きます →
「平安時代」は『不安時代』で「平安の京 (みやこ) 」は『不安の京 (みやこ) 』でありました。そのため、本当は不安だけど平安を願い「平安京』という名前にしたといいます。
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794年 / 平安時代、
(・・? 51代・平城 (へいぜい) 天皇は、
山城国の平安京 ~ 大和国の平城京 (へいぜいキヤウ) に再遷都を試みたが ⇔ 阻止され、52代・嵯峨 (さが) 天皇 → 平安時代は続きます →
―?→
葛原 (かずらわら) 親王は葛城氏の腹 (はら / 原) から生まれた親王と云われています。
葛原 (かずらわら) 親王の子孫が、桓武平氏 → 坂東平氏・秩父平氏・伊勢平氏など「武家の始まり」にも通じ「平氏 / 平家」と呼ばれて行きます →
* 桓武平氏は桓武天皇の武士的な子孫。
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ー?→
* 高望王 (平高望) は桓武平氏の祖
そのため高望王 (平高望) も、
『葛 (かー) さんの子』であり 「藤 (とー) さんの子」でもあったので「葛藤物語』は東国にも伝播していました。
―(・・? ―?→
話しを平将門の乱に戻して →
平将門の乱の重要人物
… 言い伝えよると →
――…―…→→
当時の家庭環境 家柄 (血筋) の事を考えて見ると? 気になる事がありました。
*県犬養氏 ≒ 橘氏 ≒ 葛城族
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当時は比較的 →
次男や側室は『霊的→道教的』。
に傾く事が多く見られたようです。
… もう一度 →
古代の日本には、
「礼的」→ 政治的 (儒教的) な権力者、
『霊的』→ 祭祀的 (道教的) な権力者。
―(・・? ―?→
平将門と千葉氏の祖・平良文は霊的権力者・葛城族と縁が深く、平将門の拠点は下総国猿島郡石井 (いわい / 岩井) という所で 猿島郡の猿という文字は猿田彦と関連しているようにも見えるし そのとなり下総国葛飾郡の葛という文字も葛城族と関連しているように見えます
下総国葛飾郡は、
今日の茨城県・埼玉県・千葉県・東京都に絡まる郡であったようです。
―!?→
(・・!? 驚きべく事?!
下総国葛飾郡には愛宕駅があるといいます。
―(・・? ―?→
山城国には兄の国と弟の国 →
(・・; 毎度こと;
長文駄文になっております;
関連かも情報?
https://kotobank.jp/word/%E8%B3%80%E8%8C%82%E6%B0%8F-46903
かも氏
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B9%E5%B0%8F%E8%A7%92
役小角
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飛鳥時代の人、役小角の本名は賀茂氏、
* 葛城系賀茂氏
役小角の住まいは大和国葛上郡
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E4%B8%8A%E9%83%A1
大和国葛上郡
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%87%8E%E9%83%A1
山城国葛野郡
一説によると、
大和国葛上郡 ~ 山城国葛野郡に引越した霊的関係者たちがいた? と云う。
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