2021/12/13
ミカンの合言葉 →
愛 Wa 静か の 温州みかん
愛は伊予国、Waは紀伊国、静かは駿河国・伊豆国。を指し、江戸末期 ~ 明治初期ころ、ミカンの里と知られる『浙江省温州市から種が』という俗説が流布しており、温州市に準えて温州 (うんしゅう) ミカンと呼ばれるようになったようです。
(・・! 驚きべく事?!
温州みかんは自然界には存在しない 霊的果物 江戸時代に不吉な蜜柑と恐れられた時代もあったといいます。
九年母は、
インドシナ原産の柑橘類で、室町時代ころ、南中国 ~ 琉球を経て日本の関東以南まで普及したと云われています。
紀州蜜柑は、
中国との交易港として古くから栄えていた肥後国八代 (熊本県八代市) に中国浙江省から小ミカンが伝り、高田みかんとして栽培され肥後国司より朝廷にも献上されていた。15世紀〜16世紀頃には紀州有田 (和歌山県有田市) に移植され一大産業に発展したことから「紀州」の名が付けられ東日本ではキシュウミカンと呼ばれるようになった。説も。
詳しくは解りませんが、
日本原産の柑橘類は、
橘 (タチバナ) と 酢食酸 (シークヮーサー) で、その他ミカンは海外との交配種になっているようです。
(・・! 気になる お話?!
また一説によると、
ウルシ科・琉球櫨 (ハゼ) の木を使用した蝋燭 (ろうそく) 作り → 櫨蝋 (ハゼろう) の接木技術が進展して → 温州みかん? という説もあります。肥後国は櫨蝋 (ハゼろう) の一大産地でもあったようです。
また一説によると、
その長島は肥後国に属していた時代もあり、薩摩と肥後 2つ文化を持ち 海外との結び付きもあったと云われています。
(・・; 何もかも;
説のお話ですが ミカンの歴史を調べて見ると ある出来事と関連しているように思えて来ました。
… ある出来事とは →
室町時代ころ、海外との交易にも関する、2つ朝廷が水面下で動いていた時代です。
それは古代でも 中世でも 歴史は繰り返す → 不思議お話です。
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7世紀は日本史の始点時代、
愛 Wa 静か の 駿河国にある「足柄峠』が「中央政府」と『地方政府』の分岐点になっていたようで、その「峠 (とうげ) 』を「坂」や『関』とも表現し、峠の東側を 古代は「坂東」、中世は『関東』と呼ばれるように。いいます。
… そのほか →
西日本側では『越の国』や『南九州』が「中央政府」と『地方政府』の分岐点になっていたようです。
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時代は下り、
鎌倉時代が滅亡した南北朝時代ころ、
北条時行は伊豆国を拠点に活動していました。
北条時行は、
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時代は下り室町時代、
ある日、
上記文で、
これまでの早雲は、前半生不明の素浪人から戦国大名に成り上がった下剋上の典型と見られていたけど ⇔ 近年、早雲の祖先は 中央 (山城国) ~ 地方 (備中国) へ出向いた高貴な家柄と見られています。
そのため、
「北条」という名前よりも『伊勢』という名前の方が高貴な家柄であったけど、地方の人々 → 東国の人々の信頼を得るため「北条」という名前にした説も云うます。
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詳しくは解りませんが、
『戦国大名』は地方分権タイプ、
⇔
「守護大名」は中央集権タイプ。
愛 Wa 静か ← の 駿河国と伊豆国 「中央政府」と『地方政府』の分岐点? 見えます
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第1号の戦国大名は北条早雲 (そううん) 、
第2号の戦国大名は尼子経久 (つねひさ) 。
伊豆国 と 出雲国 遠流地 (島流し) の先導国と知られ、共通する父子や氏族など。多数 見られます。
* 肥後国八代は南朝の里
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内容は飛んでいますが;
(・・? なんとなく?
その伊勢氏の『伊』という文字も伊豆国の『伊』という文字は『先導的 / 熊野的』な名前に思えて来ました。
韮山城(にらやまじょう)は、
伊豆国田方郡にあった室町時代後期から戦国時代にかけての日本の城。平山城。
北条早雲は韮山城の守護神として熊野権現を勧請し、韮山城内には権現曲輪と呼ばれるスペースもあったようです。
* 韮山城と熊野権現はSETの関係に。
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阿波の忌部氏は霊的氏族と知られ、その祖は天太玉命 (アメノフトタマ) で その娘・天宇受売命 (アメノウズメ) は先導神・猿田彦と結婚したと云われています。
(・・? 田方の里?
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『南九州』と『越の国』と『伊豆国』← 東国の入口? 古代も中世も「中央政府」と『地方政府』の分岐点? なっていたように思えて来ました。
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