2021/12/09
数年前、
小説家で古代史探求家の黒岩重吾著の『感想文』に、こんな感じ? ニュアンス文がありました。
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「ぼくは、記紀 (古事記・日本書紀) の否定から古代史研究を始めました。記紀の前半はフィクション性に富んだ『神話』になっています。けれども、その後の考古学の進歩と擦り合わせると、神話の内容がすべて作り話 (フィクション) だとしたら ← その作者に芥川賞を与えなければならない。もちろん、権力者の正当性を主張する書物であるけど、何か? 神話の中に真実が隠れている‥」
―↑―↑―
そんな感じ?『感想文』は、とても印象に残る1文でありました。
7世紀から編纂された記紀 (古事記・日本書紀) の前半は『神話』の作りになっており、本当に実在した神 (人物) なのか? など。歴史家の間にも賛否両論。
「神話』の視点は、
「戦前の教科書」と『戦後の教科書』で、その政治スタンスが大きく異なる部分で、いつのヨも歴史は時の権力社によつて政治利用されていると云われています。
― ― * →
黒岩重吾氏は、
排外的な民族主義者でも偏狭的なナショナる人でもなく、柔軟で視野の広い古代視点を持っていました。
黒岩重吾氏によると、
「戦前の教科書」は神話内容を政治利用された背景もあり ⇔『戦後の教科書』は神話内容が全否定されたように感じる。← そうした意見を持つ古代史探求家は他にも多数見られます。
― ― * →
* 昨今では、神話内容を悪用する政治団体 / 動画チャンネルも存在するので、広い視野で神話を見る必要に思います。
―(・・? ―?→
黒岩氏が気になっていた神話内容は、
神話について →
「戦前の教科書」→ 全肯定、
『戦後の教科書』→ 全否定。
「極端」~『極端』に。
という意見です。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%AD%AB%E9%99%8D%E8%87%A8
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E6%9D%B1%E5%BE%81
―?→
… その事は →
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%86%8A%E6%A5%A0
南方熊楠 (くまぐす)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%98%E5%8F%A3%E4%BF%A1%E5%A4%AB
折口信夫 (しのぶ)
―?→
神と人を結び付ける事 ⇔ 神と人を引き離す事 どちらも政治かもしれません。
戦前は神さまが百 (たくさん) いた事を知ってはいけない時代 ⇔ 戦後は神さまについて調べようとすると偏狭的な視点に思われる時代 その両方とも政治に思います。
例えば、
古代の時代ドラマや源氏物語など。フィクション性に富んだ物語の中から 当時の人々の生活スタイルや貴族たちの風習など 政治が見える事あります。
* おとぎ話や神話の中にも真実が隠れている
(・・? 神さまとは何か?
神さまを見る事 ⇔ 見ぬ事 どちらも政治が関与しますので、教科書は『ほんの1ページ』広い視野で神々を知る事も大切に思います。
―?→
上記文を踏まえて、
「前の国」と『後ろ国』を考えて見ました。
「前の国」は政治 → 礼的 (儒教色) 、
『後ろ国』は祭祀 → 霊的 (道教色) 。
古代日本には、
礼的権力社と霊的権力社が存在していた (いる?) ように思います。
ー↓─━─扉─━─↓ー
古代史探求家の本では、
5世紀は応神朝の時代 「実在」と『伝説』の「境目』が大きく見られる という意見が多数見られます。
(・・! 意外に思った事は?!
岡田英弘氏は異国への対抗心を強く持つナショナる人で、戦後のナショナる人たちから大先生と呼ばれていました。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E8%8B%B1%E5%BC%98
↑
その舞台は5世紀の河内国 (後の摂津国) に都があったようです。
古代史探求家の関祐二氏によると、
『神』と名の付く大王 (おおきみ / 天皇) や皇族は歴史の敗者で『祟り神』怨霊信仰の様子が見える。といいます。
―(・・? ―?→
有徳ある者 / 徳のある統治者がその徳をもって人民を治めるべきであるとした孔子の統治論に由来する儒教の政治理念・思想。
― →
(・・! 仁徳天皇の時代?!
民を思う善政エピソード1つに難波の堀江 (海路) の掘削?大土木工事が行われていたようです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E6%B3%A2%E3%81%AE%E5%A0%80%E6%B1%9F
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(・・? 内容は複雑していますが?
15代・応神天皇は『歴史の敗者』?
⇔
16代・仁徳天皇は「歴史の勝者」?
↑
黒岩視点では
5世紀は応神朝ころ、九州島 ~ ヤマト王権の成立に関与する東進勢力が存在する。けれども、その勢力はヤマト王権の樹立に活躍したけど、支配的立場になっていない。← という風な?視点です。
― ― * →
* 歴史家の間でも賛否ありますが、
15代・応神天皇と その母親・神功皇后は『歴史の敗者』説があり、古代史探求家の関祐二氏によると、『神』と名の付く大王 (おおきみ / 天皇) や皇族は歴史の敗者で『祟り神』怨霊信仰の様子が見える。という説を信じて見ました。
『神』と名の付く応神天皇と神功皇后を祀るお社は、八幡社と住吉社で 八幡社の本店は九州島に 摂津国の一宮が住吉社になっている事を考えると 5世紀は応神朝ころ 九州島 ~ ヤマト王権の成立に関与する東進勢力が存在する。けれども、その勢力はヤマト王権の樹立に活躍したけど、支配的立場になっていない。← という風な?視点も気になります。
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… 第2回お話 →
ー―…―…→→
(・・; 再び;内容は複雑していますが?
五山系 (禅) の時宗 (ときむね) は『伊豆国』を政治の出発地とし 熊野系 (浄土) の時宗 (じしゅう) は『伊予国』を発祥地 そして、五山系 (禅) と熊野系 (浄土) を一体化させた室町時代に登場する観阿弥・世阿弥親子は『伊賀国』を出発地にしていたようです。
(・・? ?
『伊豆国』『伊予国』『伊賀国』
名前が似ています。
そのほか、
伊勢国・紀伊国など。
室町時代、
南朝勢力の拠点は摂津国住吉に。
役小角は伊豆国に島流しされていました。
また、
伊豆国や紀伊国には『鈴木さん』が多く、
雑賀衆は浄土衆 →
- 国津神と天津神 –
「津」は「の」を意味し、国津神は国の神 (土着神) 天津神は天の神 (渡来神) を意味していたようです。
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その昔、
ー―…―…→→
「伊』の成り立ちは、
「人」+『尹』で尹 (イン) は神杖を意味し、伊は聖職者 / 先導神を表現しているようです。
伊 – ウィクショナリー
「尹」→「伊」、
『尹』→『君』、
「尹』→「群』。
など。
… 猿田彦 (別名;佐太彦) も →
尹 (神杖) を持つ国津神 (土着神) で先導神という属性があるようです。
―→
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