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第14回 前の国 と 後ろ国

気になる象 →

印象的・抽象画・気象庁・対象年齢・象徴・形象・現象・画像・図像・銅像・など。

(・・? どうして象なのか? 
調べて見ると、古代中国に殷 (いん) という占い王国があり、甲骨文字を用いて卜占をしていた。やがて、動物の「姿 / 形」から作った絵文字 → 象形文字に進展。動物の中で目立つのは象なので ゾウ 絵文字 (象形文字) の第1号が象に。その象形文字は象の形から作った絵文字で、姿・形・様子を意味するようです。

気象 → 天気の形や様子。
現象 → 形になって現れる様子。
印象 → 心に印した形状?
など。

甲骨文字は占文字、
象形文字は絵文字。


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室町時代~江戸時代ころ、
なぜか? が遠く国から何度か来日しているのですが ゾウ その詳細情報を探せませんでした。おそらく? 室町時代と江戸時代の政治体制は仏教体制を敷いていた事も関連しているように思います。

仏教国では、白象は普賢菩薩の乗り物と知られ神聖な動物になっており。
タイやラオス・カンボジア・ベトナム等では象が神聖視され、むかしタイやラオスの国旗にも白象が描かれていたようです。

ー(・・? ー?→

古い文献では、
1408年 / 室町幕府の4代将軍・足利義持の時代に若狭国にインドネシア (スマトラ島) のパレンバンから南蛮船に乗ってが来日。
 今日でも若狭国に「象つなぎ岩」と呼ばれる公園があるといいます。

象が来日した1408年は、
室町幕府の4代将軍・足利義持の時代でありましたが、その時代の政治義持の父親で前将軍であった足利義満が行っていたので、実質的? 義満への贈り物 ゾウ その年に足利義満は亡くなります。足利義持政治力を身に着けた2年後、朝鮮国より仏教の経典・大蔵経が贈られ ⇔ その返礼としてが朝鮮国に贈られたと云われています。

インドネシアには多種多様な宗教があり、かつてパレンバン (スマトラ島) にも仏教王国の室利仏逝 (シュリーヴィジャヤ) 王国があったといいます。




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あれから数年後、
江戸幕府の8代将軍・徳川吉宗の時代に2頭の広南国 (ベトナム) から来日 ゾウ 徳川吉宗は動植物好きため? との説もありますが、そのとき来日した象は、実際には「灰色の象」であったけど『白い象』と記載されているので、当時の人々も仏教的なエピソードを意識していた様子が伺えます。
広南従四位白象 ← 実際には「灰色の象」であったけど『白い象』と記載。

当時は『大船建造の禁』←  という大きな船を作ること禁ずる法案が整備されていたので、大きな船で象を直接江戸まで運ぶ事ができなかったので、長崎~江戸までの長旅をしたと云われています。


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(・・? これまで お話?
時代も場所もダイブ飛んでいますが、室町時代の象と江戸時代の象 ゾウ それを運んで来た人々や時代背景に光 (スポ) ットして見るとひらめき電球 古代から続く複雑な家族政治の何かが見えて来るように思えて来ました。

象が初来日した1408年 (室町時代) は、日本政治の「転換期』でもあり てんびん座 その後の徳川吉宗の江戸時代とも無関係ではなく、徳川吉宗は紀伊国から出た将軍である事とも関連している思います。

室町時代は日本史の中で1番人気ない時代で、その前の南北朝時代は日本史のブラックホールと云われいます。室町時代の黄金期は3代将軍・足利義満の時代で てんびん座 その次の4代将軍・足利義持の時代に象が初来日。その象を運んで来た人々や時代背景に光 (スポ) ットして見るとひらめき電球 お話です。

室町幕府の3代将軍・足利義満 てんびん座 4代将軍・足利義持の時代は日本政治の転換期でが来日 ゾウ 江戸幕府の初興の祖は徳川家康 自転車 中興の祖は8代将軍・徳川吉宗と云われているので てんびん座 その時代にまたが来日している事も気になりました。



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室町時代、インドネシアのパレンバンからを運んで来た南蛮船の商人はマレー系華僑の頭目で亜烈進卿 (あれつしんきょう) という人物。

江戸時代、広南国 (ベトナム) からを運んで来た商人は鄭大威という清国商人。象遣いはベトナム人々で商人や通訳は福建省や広東省といった南中国の人々が多くいたようです。

ゾウ

象の古里?
インドネシアやベトナムは南方的な「東南アジア」?  という印象があるのですが てんびん座 民的には南方文明 ⇔ 官的には北方文明に組していた時代もあったといいます。

ー?→

(・・? 仏教は2タイプ?はてなマーク
仏教には南伝仏教 (上座部仏教) と 伝仏教 (大乗仏教) とあり、東南アジア方面は南伝仏教 (上座部仏教) が主流だけど ⇔ インドネシアやベトナムは伝仏教 (大乗仏教) に組していた時代があったようです。

ベトナムの仏教は伝仏教 (大乗仏教) が多く、天主教 (カトリック教) も多い。との事です。

東南アジアの仏教王国であったタイやラオス・カンボジア・ビルマ等は南伝仏教 (上座部仏教) ⇔ 1部のインドネシアやベトナムは伝仏教 (大乗仏教) を信仰する時代があったといい。伝仏教の影響~? むかしベトナムでも漢字を使用していたようです。

室町幕府の3代将軍・足利義満 てんびん座 李氏朝鮮・琉球・安南 (ベトナム) など。明朝の冊封体制下に入っていた時代の名残も関連しているように思います。


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江戸幕府の8代将軍・徳川吉宗の時代のベトナムは、明朝ではなく てんびん座  清朝冊封体制下に入っていたようですが、象を運んで来た商人たちは清国の商人なのですが、福建省や広東省といった南中国の商人が多くいた事が気になりました。

1644年、
中国政府は明朝清朝に王朝交替。← その時代ころ、南中国や台湾・長崎や武蔵国の小石川区や常陸国・下総国など。 明朝の関係者が多く政治的亡命していた時代がありました。

よく知られている人物は 鄭成功 。

鄭成功の母親は長崎生の日本人で てんびん座  父親は鄭芝龍 。明朝の貿易商人で天主教徒でもありました。


鄭成功の父親 → 鄭芝龍の洗礼名はニコラス。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%84%AD%E8%8A%9D%E9%BE%8D 

↓↑
その時代ころ江戸幕府は3代将軍・徳川家光の時代で、その時代は天主教の取締りが厳しい時代で てんびん座  1635年ころ朱印船貿易も停止し、日本人の海外渡航と帰国を禁止。故郷に帰国できなくなった日本人も多くいたようです。

ご迷惑をおかけします それまでは ご迷惑をおかけします
東南アジア方面に『日本町』を形成するほどの海外交流が行なわれていたようです。

明朝の時代~
中国の南蛮地域 / 広東省のマカオは、商人たちが私貿易を行う事が許可されていたようです。


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内容は複雑していますが、
東南アジア方面に展開していた『日本町』の1つに広南国 (ベトナム) の会安 (ホイアン) という町があり、その地には来遠橋と呼ばれ日本の商人たちが作った橋があったようです。

8代将軍・徳川吉宗の時代に来日した象 (広南従四位白象) は会安 (ホイアン) の港から来た? という情報も見られます。

また、8代将軍・徳川吉宗の時代に登場する青木昆陽は江戸の小石川村 → 下総国の馬加 (まくわり / 幕張) 村 → 上総国の99里村サツマイモ栽培します。← 下総国には99人 (たくさん) の紀伊国の人々が移住したと云われています。
サツマイモの原産地は中南米大陸で南中国のマカオが商人たちの発送拠点になっていたようです。

注意 一説によると
青木昆陽の祖先は摂津の海人で、彼らは浄土系の関係者が多く、当初は東京府の小石川区辺りに住んでいましたが、1644年 (←明清交替の時代) ころ、佃島という人工島を築島しその島に住まうように。
佃島のとなりには石川島→
佃島と石川島は同時期に てんびん座 タイプの異なる浄土系の関係者たちが主に築島と云います。

ー(・・? ー?→

前回お話と今回お話 てんびん座 内容が違うようにも見えるかもしれませんが、室町時代と江戸時代に来日した象を運んで来た商人たちの net 網に光 (スポ) ットして見るとひらめき電球 まったく無関係とは思えない物があるように思えて来ました。

室町幕府の3代将軍・足利義満の時代の琉球は察度王の時代に冊封体制が行われていました。


琉球は察度王の時代に首里城が築城された? という説があります。

↓↑
その時代の日本は、室町幕府の3代将軍・足利義満の時代。後ほど義満は、4代将軍・足利義持に将軍職を譲り てんびん座 義満浄土造りの空間政治を行っていました。

1408年にが来日 ゾウ その年に義満は亡くなります。

室町幕府の3代将軍・足利義満 てんびん座 4代将軍・足利義持の時代は日本政治の転換期で、4代将軍・足利義持は ⇔ 父親である足利義満とは正反対の政治を行います。

4代将軍・足利義持の時代~
琉球では首里城が海外との商取引を展開して行きます 自転車 首里城 (すいグスク) の築城主という説を持つ察度王の弟 → 泰期という人物が小禄城 (うるくグスク) を築城し、その跡地にカニマンうたきがあります。


ご迷惑をおかけします カニマンうたきとは ご迷惑をおかけします
金満按司 (カニマンあんじ) と呼ばれた製鉄職人たちの御嶽 (うたき) で かに座 金 (カニ) は金属 / 鉄類 かに座 満 (マン) は満 (たくさん) かに座 按司 (あんじ) は職を司る主 (あるじ) → 金満按司 ≒ 製鉄職人という意味に。

ご迷惑をおかけします 前回お話では ご迷惑をおかけします
浮島 (那覇島) には熊野的な宗 (衆) の来沖が察度王の時代~存在していたでは? と考えていましたが、その結び付きは 長音記号2 室町時代の来日象と江戸時代の来日象の商人たちの net 網にも関連しているように思います。8代将軍・徳川吉宗は紀伊国から出た将軍で、その紀伊国は熊野的な宗 (衆) の里でもありました。

また考えて見たいです。



竹。。



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