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マジムンの行方

昔んかし、

沖縄島は浦添村のある部落に、度たび魔物 (マジムン) が出没し、人々を驚かせていました。

ドゥマンギタ (驚いた) 時に マブイ (霊魂 / たましい) が ハンディル (はみ出る) 事がよくあります。

そんな時には、こんな「おまじない」をしていました。

オバケ

「マブヤーまぶやー」

流れ星

 それは、体から ハンディタ (はみ出た) マブイ (霊魂) を呼び戻す「おまじない」です。

⇔ けれども ⇔ 浦添村に出没する魔物 (マジムン) に対しては、そうした「おまじない」を用いても、まったく効果がなかった。

そこで、とある僧侶 がやって来て、経文 (お経) を土に埋めて塚 (つか) とし 魔物 (マジムン) を封印したところ、魔物 (マジムン) は出没しなくなったと云う。


その地名は → 

経文を埋めた → 「経塚 (チョージカ) 」  と呼ばれるようになったと云われています。

そのため沖縄島では、「マブヤー」『チョージカ』2つ「おまじない』が主流に。

軽い驚き →「マブヤーまぶやー」、

強い驚き →『チョージカちょうじか』。

とある僧侶の名前は日秀上人

https://ja.m.wikipedia./日秀 (真言宗)

経塚 (チョージカ) 』出来事を由来として、霊魂 (マブイ) を戻す『おまじない』『チョージカちょうじか』に進展したと云われています。

https://ja.m.wikipedia./経塚 (浦添市)


(・・?  実は! その日秀上人

琉球の民話にも登場する超・有名人なのですが、謎めいたミステリアス部分も多数見られます。

日秀上人が琉球 (沖縄島) に流れ着いた嘉靖年間 (1522 ‐ 66年) は、第二尚氏王統の4代・尚清 王 (1527~55) の時代。

上綾門 (通称・守礼門も、その時代 (明代 / 室町時代) ころ建てられ。ほかにも、より一層の朱色の漆器文化が琉球に進展、朱色をした工芸品建築物も増えていると云われています。

朱色は『魔除け』の色とも。

日秀上人加賀国の人? 上野国の人? 2つ説があるようです。

https://ja.m.wikipedia./日秀 (真言宗)

日秀上人の出家前の名前は『富樫 (とがし) 』https://ja.m.wikipedia./富樫氏

室町時代加賀国の守護大名も富樫氏でありましたので、日秀上人加賀国の人では? との文献が多く見られます。


ー(・・? ー?→


 ー 加賀国 と 上野国 の関係 ー

室町時代の前の南北朝時代加賀国を含む越の国 (北陸地方) には上野国新田義貞 (南朝勢力) が拠点としていたので、上野国の関係者がほかにもいたように思われます。

上野国新田義貞 (南朝勢力) は晩年、越の国(北陸地方) を拠点に活動、その地で亡くなる。若狭国坂井市丸岡町の称念寺に お墓があるといいます。

白山信仰の開山者・泰澄 (たいちょう) が開き、後ほど、時宗 (時衆) の一遍上人白山信仰とともに寺を再興。室町幕府 (北朝政権) の時代に敗者 (南朝勢力) を『称える』と意味で『称念寺』の寺名になっているようです。

https://ja.m.wikipedia./称念寺

日秀上人加賀国の人で、祖先は上野国 (南朝勢力) の関係者であったように思われます。


ー!?→


(・・?  ところで!?

日秀上人 (もと富樫氏) が来沖した室町時代から下ること → 戦国時代 → 江戸時代と進むに連れ、加賀国では「富樫氏」に替わって『前田氏』が台頭するようになったといいます。*富樫氏は加賀国の守護大名 ⇔ 前田氏は加賀国の外様大名。


(・・; もしかするとそれは;
あの時、封印した魔物 (マジムン) 因報かもしれません。その予言は;琉球 (沖縄島) から始まっていたように思われます。


ー?→


(・・? というのは?

経塚 (チョージカ) 』となり部落は、
「前田 (まえだ) 」になつているからです。

ー(・・; ー;→

もしも;このブログを前田さんが見てしまったら; マブい ハンディます。

この物語はフィクションであり、

登場する人物、魔物 (マジムン) 、関係団体など。実在しない場合も考えられます。









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