2020/05/09
前回お話では、
サツマイモを普及させた人々は意外にも取締り対照の2宗 (衆) 関係者? と説を考えて見ました。
ー(・・? ー?→
「取締り対照者」が『取締り対照者』を取締る仕組み?
江戸幕府は、公家諸法度・武家諸法度・寺家諸法度といった法度 (禁令) を出し3家の統制政策していました。
中でも、一向宗 (衆) 徒やキリスト教徒は浄土 (あの世) 的 / 殉教的な考えを持て反乱する事もあり、時の権力者は2宗 (衆) 関係者を恐れていたようです。
そのため徳川家康は、一向宗を「東本願寺」と『西本願寺』に分別した説も。
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関連かも情報。
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ー 寺請制度 ー
寺家は幕府の体制下に組込まれる事によて「経済的安堵」を得た物の『宗教的基盤』を失た。寺請制度は思想管理 → 戸籍管理 ← パスポートや市役所の役割もし、寺家の統制策と切支丹禁策を端緒にしていたといいます。
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前田利右衛門 (リエモン) は、
薩摩の山川港 (いま指宿市) の海運業者 / または漁師で。山川港はザビエル上陸港と知られています。
(・・? 前田 → 利?
関連してるは解りませんが、その昔、豊臣秀吉のバテレン追放令に従わなかた摂津国の切支丹大名・高山右近は、加賀国の外様大名・前田利家に一時保護された事も。
前田利右衛門と前田利家? 名前が似ている?
海運業者の前田利右衛門は国禁を犯して琉球に渡て → 儀間真常が沖縄島に広めていた唐芋を日本に運ぶ → 後ほど、青木昆陽がリエモン芋を小石川薬園で栽培。
ー!?→
(・・! 実は!?
儀間真常は一向宗 (衆) 徒で、日本 (薩摩) から琉球に「木綿」と『住吉信仰』を持ち帰っていました。
(・・? 今では不思議お話?
摂津国佃村の漁師たちが最初に住んでいた村は小石川で、仕事場は日本橋小田原町 / 魚河岸 (うおがし) にあったと云われています。
佃島 (人工島) のとなり → 甲州街道沿い『明石町・築地 (南小田原町)・浜離宮』があり、その前身は小田原の後北条氏の残党 (同心) たちと縁ある地と云われています。
甲州街道を整備したのは、豊臣秀吉と徳川家康による小田原征伐の敗者・後北条氏の残党 (同心) → 主に、信濃国と甲斐国の関係者 ←「武田衆」が多くいたといいます。
武田衆と一向衆 かつて2衆は徳川家康を最も苦しめた衆と語られています。
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日本橋小田原町で生まれた青木昆陽の祖先は摂津国佃村の漁師。のち、青木昆陽は祖先が最初に住んでいた小石川村 / 小石川薬園でサツマイモを栽培していた。
ー(・・? ー?→
当時、キリスト教と一向宗 (衆) の取締り風が吹き始め。南九州はその風強く ⇔ 小田原の後北条氏の里はその風弱い傾向。
(・・! 伝通院は信濃国の善光寺と通じていました!?
小石川区は、加賀国の一向衆と摂津国佃村の漁師、小田原・後北条氏の残党 (同心) たち ≒ 武田衆とも縁ある里。かつて武田衆と一向衆は徳川家康を苦しめた衆。
(・・? 「宗」の中に『衆』?
デジャブる (既視感) して来ました。
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