2020/05/15
1644年、
芋普及者の儀間真常が亡くなる。
(・・! 1644年いえば?!中国政府『明清交替』の年。
17世紀は3代将軍・徳川家光 ~ 5代将軍・徳川綱吉かけて「明朝 (旧政権) 」と『清朝 (新政権) 』の拮抗時代で、明朝関係者が多数来日し、儒教「色」と道教『色』「2色 』を持ち運んでました。
… 記事内容は違いますが →
カンボジアに造られた2つの橋脚を見比べてみると 日本橋は直線 ⇔ 中国橋は曲線 していた。
(・・? 意外な事に!? 日本へアーチ状の「曲線橋」が普及したのは新しい出来事だと云われています。
日本初の石造曲線橋は肥前国の眼鏡橋 ∩ 木造曲線橋は周防国の錦帯橋 ∩ ともに天主教会と縁地でもあります。
ー!?→
その以前の15世紀!?
琉球天照を祀る浮島神社 (もと長寿宮) のとなりに儀間真常 (世持神社) の仮宮があります。
ー―…―…→→
儒教は「学び色」⇔ 道教は『遊び色』、
儒教は「緊張色」⇔ 道教は『弛緩色』、
儒教は「質素倹約」⇔ 道教は『現世利益』。https://www.asaobo.jp/blog/867
17世紀は「儒教色 > 道教色』割合で来日。
18世紀 / 8代将軍・徳川吉宗が行った「享保の改革」は儒教的な質素倹約政策 ⇔ その一方、徳川吉宗は『動植物好き』で海外から数多く動植物を輸入していました。
中でもベトナムから「象」を取り寄せた事は「象徴的」と知られています。
(・・; けっこう ぜいたく?
徳川吉宗は、儒教的な「質素倹約」政策と同時に、『産業開発』に役立つ実学を奨励し、科学技術に関する知識摂取ため、キリスト色の少ないE欧文学 (主に蘭学) の漢訳洋書の輸入制限を緩和していたようです。
オランダ (蘭国) は「宗教」政策よりも『商業 / 産業』政策に重き置く → 現世の利益国であったという。
8代将軍・徳川吉宗の時代に登場する芋普及者の青木昆陽も「儒学者」で『蘭学者』でもありました。
ー → あくまでも、傾向お話ですが、
儒学は『商業 / 産業』の軽視傾向をよく云われ ⇔ 蘭学は『商業 / 産業』を重視傾向。
(・・? 青木昆陽は2色流? サツマイモ栽培も蘭学的な産業政策の1種と思われます。
(・・? 厳密 / 複雑お話? 儒学 = 儒教ではなく、儒学の中にも儒教「色」と道教『色』「2色 』が含まれていたようです。
… 比較的 →
朱子学 (儒学) やカトリックは体制的 ⇔ 陽明学 (儒学) やプロテスタントは抵抗的な傾向が見られたいう。
明清交替 (1644年) 後、清朝 (新政権) は明生まれで抵抗的な陽明学ではなく、体制的な朱子学に重きを置いたようです。
ー 参考情報 ー
陽明学は、中国で廃れて、日本で独自に復活した。このこと自体が謎なのである。なぜ本場の中国で廃れて、日本で復活したのか。日本の何がそれを受け容れたのか。その復活にしても、https://1000ya.isis.ne.jp/0996.html
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明清交替 (1644年) 後、
清朝 (新政権) は体制的な朱子学に重きを置き、琉球や朝鮮といった朝貢国も朱子学体制に倣っていました。
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名護親方こと程順則は、清代の1663年に那覇の久米村で生まれました。彼は文学者・教育者で、漢詩集を出したり、1718年には琉球初の学校「明倫堂」を設立。
程順則は、何度も清 (中国) に留学し、1708年 遂には陳元輔 (ちんげんぽ) より朱子学と詩文を学び、持ち帰った「六諭衍義 (りくゆえんぎ) 」は日本にも渡り、8代将軍・徳川吉宗に献上され、江戸時代の寺子屋の教科書として日本全国に広まりました。
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六諭衍義は、明末清初ころ成立した六諭の解説書。江戸時代の日本では寺子屋の教科書として広く普及した。
六諭とは、明の洪武帝が1398 (洪武31) 年に発布した「孝順父母、尊敬長上、和睦郷里、教訓子孫、各安生理、毋作非為(父母に孝順にせよ、長上を尊敬せよ、郷里に和睦せよ、子孫を教訓せよ、各々生理に安んぜよ、非為をなすなかれ)」の六言をさす。なお、これは教育勅語にも影響を与えた。https://ja.m.wikipedia./六諭衍義
六諭衍義 ≒ 朱子学は体制的 ⇔ 陽明学は抵抗的、六諭衍義は明代の書物だけど、来日当時は清代。清は体制的 ⇔ 明は抵抗的?
朱子学 (体制的) はカトリック教 ⇔ 陽明学 (抵抗的) はプロテスタント教と似ている? との文を多数見かけます。
(・・? 詳しく解りませんが、18世紀 / 8代将軍・徳川吉宗の時代は、人口増加と商工業が進展した時代で、王陽明 (陽明学の) が生まれた15世紀の明 (南中国) の環境とも似ており、しだいに『商工業』への政治スタンスの違いから、儒学は朱子学派と陽明学派 → 国学派など。見られるようになったという。
(・・? 実践的で利益誘導型?
陽明学の知行合一は、知 / 信仰 と 行 / 実践的な事業活動を重視し、信仰と商業活動の両立を認めたキリスト教世界におけるカルビン派 (プロテスタント) の考え方と似ていたようです。
ー(・・? ー?→
どうやら?8代将軍・徳川吉宗の時代、農本主義 (体制的) ⇔ 重商主義 (抵抗的) ? そうした拮抗関係が発生する分岐点であったようにも思えて来ました。
教育勅語は六諭衍義 ≒ 朱子学的 / 体制的いうので、体制 → 抵抗 → 体制 → 抵抗 → その繰り返し → ようにも見えて来ました
… ある方の説では →
江戸幕府は体制的な朱子学に重きを置いていたけど ⇔ 抵抗的な陽明学を端緒 (糸口) にして → 国学 (神道) にも進展。
武家体制 (朱子学) → 抵抗運動 (陽明学+国学) → 公家体制 (朱子学) → 江戸時代は「仏教体制」⇔ 明治時代は『神道体制』に。
また、いつの世も、抵抗者が批判される事あっても 体制者が批判される事は少ない? そのように思う事も。
武家中心体制ための朱子学 ~ 公家中心体制ための朱子学? 王政復古へ?
(・・; 苦手分野に進んだ気がする;
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