2020/05/19
ある日のブログでは、こんな文を載せて見ました。
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明朝 ~ 清朝へ王朝交替する頃、明朝の重臣・朱舜水がラーメンとともに日本へ政治的亡命 そして、朱舜水の影響を受けた水戸黄門こと徳川光圀が明治維新に結び付いた事など。https://www.asaobo.jp/blog/953 載せて見ました。
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戦前であれば「不敬罪」に処される危険な『もうそう』ではありますが、7世紀頃 ~ 武照の政治体制が日本の官僚体制に結び付くよう思う事もあり、とても気になって来ました。
…武照とは →
唐の3代皇帝・高宗の后・武則天こと。一時期、中国で「皇帝と皇后」を『天皇と天后』に改めた中国史上唯一の女帝と云われています。
また 徳川光圀の『圀 (くに) 』という文字は『則天文字』の1つで、武照 (武則天) が作った文字、といいます。
https://ja.m.wikipedia./則天文字
厳密にいうと、
明朝の明は明教 (マニ教) の明なので、明治の明も明教 (マニ教) の明? と事が正しいのかもしれません。
時代は飛びますが、
「明朝」は『唐朝』の諸制度を模した仏教王朝で 一世1元制を始めた王朝であった事が 武照 (武則天) の再来を意味しているに思えて来ました。
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武照 (武則天) と明教 (マニ教) は密接関係があり 日本の国家体制とも深く関連しているよう思います。同時に マニ教は東洋でも西洋でも「利用」しつつ『封印』されて来た歴史を持つ事から、あまり人々には知られていませんが、とても重要な役割をしていると思われます。
明教 (マニ教) は国名 (明朝) の由来ともなっていますが「弾圧 / 封印」されていました。
…マニ教の開祖は →
ペルシア人のマニ。その教義は、ペルシア由来の ゾロアスター教 を原型とし、西洋の「ユダヤ教とキリスト教」+ 東洋の『仏教と道教』。そして、かつて古代ローマ帝国で流行した太陽崇拝の ミトラス教 を合わせて マニ教 を作りました。
一時期 マニ教は東洋的で西洋的 総合的な世界宗教と云われていました。
ササン朝 (AD 226 – 651年) 時代のペルシア帝国は、西からキリスト教 東から仏教が伝来した時代で、ユーラシア西部の文明の一大中心地であり十字路でもあった。このような素地の中で、キリスト教、ゾロアスター教、仏教などの世界宗教を総合する マニ教 が誕生した。ゾロアスター教は、キリスト教の東方への浸透と、仏教の西方への浸透を阻む役割を果たした。
ササン朝 (ペルシア帝国) は、ゾロアスター教 を国教としていましたが、当地は西洋文明と東洋文明の交差点とし発展 ため、前半は他宗教に対する弾圧はなく、世界宗教を総合したような マニ教 が誕生していました。しかし、しだいにそんな マニ教 にも弾圧の波が押し寄せて来ます。
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内容は複雑していますが、
マニ教 は西洋と東洋の色を持つ総合的な世界宗教。その原型はペルシア由来の「ゾロアスター教とミトラス教』
ゾロアスター教はアフラ・マズダ (光明神) 、ミトラス教はミトラ神 (太陽神) を最高神とし、その教義は似ているように思います。
後ほど、ペルシアとインドの政治状況が悪化すると、インドではアスラ → 中国では阿修羅という修羅場 (戦いの絶えない世界) に登場する邪神 (魔族) になったようです。https://kotobank.jp/word/アフラ・マズダ
毘盧遮那 (ビルシャナ) = 奈良の大仏。
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(・・; 詳しくは解りませんが;西方から東方に進むに連れ → 形を変えながらも、ゾロアスター教のアフラ・マズダ (光明神) は阿弥陀如来 (梵名・アミターバ) ミトラス教のミトラ神 (太陽神) は弥勒菩薩 (梵名・マイトレーヤ) に転訛 その「光明神と太陽神』を取り入れたのがマニ教と云われています。
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*あの世は浄土 (光の国) ⇔ この世は穢土 (闇の国。← この世は修羅場 (戦いの絶えない苦の世界) になっており、禁欲的で現世に否定的な宗教になっているようです。
そのためマニ教は、王統交替 (政権交代) 前は「利用」⇔ 新王統 (新政権) を維持する時は『封印』される特徴を持っていました。
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奉先寺の本尊・毘盧遮那 (大仏) 建立時、日本の遣唐使・粟田真人も当地を訪れ、粟田真人は武照 (武則天) とも謁見。後ほど、日本でも奈良時代に奉先寺の本尊・毘盧遮那 (大仏) を模した毘盧遮那 (ビルシャナ) が造られたと云われています。
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後ほど奈良時代、毘盧遮那 (大仏) 建立を発願したのは聖武天皇 その后の名前は光明皇后。
https://ja.m.wikipedia./光明皇后
↑光明皇后の名前はゾロアスター教のアフラ・マズダ (光明神) を意味している と唱える人もいます。
また、聖武天皇が全国各地に整備した国分寺は 武照 (武則天) が全国各地に整備した大雲経寺を模した制度とも云われています。
https://kotobank.jp/word/国分寺
https://kotobank.jp/word/大雲経寺
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またその大雲経寺 マニ教寺院と弥勒教寺院から成り ともに『天・日・照・光』などの教義が含まれていたようです。
とはいえ、
転訛して伝来とも。
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毘盧遮那 (ビルシャナ) = 奈良の大仏。
(・・; より一層;内容は複雑していますが、
マニ教は見えない宗教、マニ教としてではなく、東洋と西洋の各種宗教の中に『その教義』が含まれているようです。マニ教を原型として創られたのがイスラム教、ゾロアスター教のアフラ・マズダ (光明神) は阿弥陀如来 (梵名・アミターバ)
ミトラス教のミトラ神 (太陽神) は弥勒菩薩 (梵名・マイトレーヤ) に転訛
その「光明神と太陽神』を取り入れたのがマニ教と云われています。
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