2020/06/24
平成の始め頃、
沖縄県は「長寿の島」とテレビ番組等で紹介されていましたが ⇔ 平成の終り頃から、それは昔世代の生活習慣 / 名残で、近年、沖縄県の全国長寿ランキングは急降下 ↓『短寿の島』にまで迫ろうとしているようです。
… 一説によると →
近年、沖縄県の「昆布消費量」が降下している事、また、そうした昔風習の名残が軽視されている事も一因と云われています。
沖縄県では、
昆布を産しないけど、昭和の終り頃まで、昆布消費量が全国で1位2位を争う時代があったといいます。
昆布消費量の全国上位を占めていたのは富山県で、江戸時代の昔、富山の薬売り (行商人) とも深く関連と云われています。
*薬種商人は昆布と漢方薬を交換貿易
ー―…―…→→
江戸時代には、北海道の釧路昆布が 越の国 → 薩摩 → 琉球 → 清朝 (中国) に、昆布と漢方薬のトレードが行われていたという。
… 西廻り航路 →
出羽国村山郡の幕領米が酒田港から西廻りで江戸に廻米されている。当初は 近江商人 が主導権を握っていた ー・・→ https://ja.m.wikipedia./北前船
むかし、
実は、その山形屋 (百貨店) も「歩く近江商人 (行商人) 」から派生し、その本店は鹿児島県にあるようです。
ー 関連情報 ー
山形屋 (百貨店) の創業は1751年 (宝暦元年)。創業者は近江商人の血を受け継ぐ現在の山形県庄内地方の北前船商人で、薩摩藩主の許可を得て開業した鹿児島城下唯一の呉服商が現在の山形屋の前身といわれる。 https://ja.m.wikipedia./山形屋
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あのとき、
一向宗 (衆) 関係者の儀間真常が九州島から「住吉信仰」と『木綿 (もめん)』を持ち帰った。お話をして見ました。
そのとき、持ち帰った『木綿 (もめん)』が原料となって「琉球絣」→「米沢琉球絣』→『米沢絣』に進展しています。
また、 一向宗 (衆) 関係者の儀間真常が沖縄島に広めた芋 (んむ) を海運業者の前田利右衛門 (リエモン) が九州島に持ち帰り → そのリエモン芋 を 青木昆陽が日本島に広めたと云われています。
ー(・・? ー?→
ある日のブログでは、 青木昆陽の祖先は江戸に「住吉信仰」を普及させた「一向宗 (衆) 関係者」説を考えて見ました。
ー →
(・・! もしかすると?!
九州島に芋 (んむ) を持帰った海運業者の前田利右衛門 (リエモン) も 一向宗 (衆) 関係者? あるいは、隠れ念仏衆か? 思えて来ました。
(・・? 前田 → 利? という名前も →
海運業者の前田利右衛門 (リエモン) は薩摩の山川港を拠点としており、その山川港はザビエル上陸港として知られると同時に 周囲には隠れ念仏洞が多数存在していたようです。
ー―…―…→→
戦国時代 ~ 江戸時代まで、行商人たちは一向宗 (衆) 関係者や天主 (カトリック) 教徒などが多く。
(・・; と同時に;
織田信長の戦国時代から、一向宗 (衆) 徒や天主 (カトリック) 教徒は「封印」されつつ ⇔『利用』という仕組みがあり、時代が進むに連れ → 行商人たちの中には、「隠れ念仏衆」や『隠れ切支丹』もいたようです。
*一向衆 = 念仏衆
昆布トレードの時代、
薩摩 ~ 琉球にかけての行商人たちの中には「隠れ念仏衆」=「一向宗 (衆) 関係者」が多くいたように思われます。
ー?ー→
(・・! 沖縄市は昔 → 越来村?!
旧・越来村 (いま沖縄市) には? 越の国から来た隠れ念仏衆? 一向宗 (衆) 関係者? 関連しているのか? 気になって来ました。
(・・; けれどもしだいに;一向宗 (衆) は取締りの対照になって行きます →
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昆布ミステリー (富山県) ほか、
金物ミステリー (新潟県) も存在します。
そうした金物職人 → 流通商人たちは昔、一向宗 (衆) 関係者が多くいたようです。
… 今日でも →
沖縄県では模合 (もあい) という商的な風習があります。その模合 (もあい) の起源も一向宗 (衆) 関係者が普及させた『講』を由来と云われています。
… ほかにも →
結いまーる (協働) 、共同売店など。一向宗 (衆) 関係者が琉球に普及させた『講』を由来に思われます。
ー 関連情報 ー
https://ja.m.wikipedia./結いゆい
https://ja.m.wikipedia./模合
↓↑
https://kotobank.jp/word/催合
ー →
「封印」しつつ ⇔『利用』と仕組み ☆
あまり目立たない出来事? かもしれません。
― →
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