第3回 もう説の糸満史

→ 前回に引き続き →
長文駄文ブログになっています。

主なテーマは「南山国の歴史」、

南山国は今日の沖縄県島尻郡の領域にあった国。そんな小さな空間史を知って今後の人生の役に立つのか? 思う方もいると思います。

ご迷惑をおかけします 個見では ご迷惑をおかけします
その小さな空間に、高麗的な落人、日本的な落人、中国史の中のペルシア史 ≒ 商業史など。隠れており、また、文中では「庶子の里、落人の里、内紛の里」などの表現を意図的に使用していますが、そうした点は「商業史」の謎を紐解く重要なカギと考えております。


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894年の遣唐使 (公貿易) 廃止 ~
日本の歴史では「商点な物」が『空白』になっている事が本当によくあります。

その後、平家と呼ばれた人々が「商点な物」に触れていました。今日では「平家」という言葉は「おごり高ぶり、裏切り者」など。悪の代名詞のように扱われる事もあります。

「平家にあらずんば人にあらづ」← その言葉は、『弱者』に向けて発した言葉ではなく  ⇔「強者」に向けて発した言葉だといいます。

ー(・・? ー?→

コロナ騒動を起点に、
日本は米中両属の政治体制となり、昔の琉球のような政治スタンスになる? との情報も見かけるようになって来ました。http://tanakanews.com/index.html

ご迷惑をおかけします矢部宏治著には ご迷惑をおかけします
敗戦後の日本は「憲法体制 (民主主義) 」と『安保体制 (帝国主義) 』2つの「法体系』が敷かれ、「占領軍」が『駐留軍』と名前を変えただけで今日でも密約体制 (条約 > 法律) が続いているといいます。

そしてこれまで、憲法改定を唱える政治家はいても ⇔ 安保改定 (日米地位協定など) を唱える政治家はスキャンダルにて失脚する仕組みがあるようです。

ご迷惑をおかけします 2つの法体系 ご迷惑をおかけします
憲法体制 (民主主義) では「右か左か?」 
 ⇔ ー
安保体制 (帝国主義) では『上か下か?』
2つの体制が錯綜しているという。


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日本の政治体制では、昔から「商点な物」が苦手 → 延いては『外交音痴』などと云われています。

コロナ騒動を起点に、
日本は米中両属の政治体制となり、昔の琉球のような政治スタンスになる? との情報も見かけるようになって来ました。http://tanakanews.com/index.html

(・・? 日本史 ≒ 琉球史 ≒ 商業史
琉球史 (商業史) の始まりを知る前に、南山国の歴史を伝えたいと考えています。



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1394年 ← 一休さんが生まれた年。
南山国の王子・承察度 (ウフさとぅ) は、朝鮮半島の晋陽に亡命しました。


ー?→

初代・大里 王 → 2代・大里 (ウフじゃとぅ) 王 → 承察度(ウフさとぅ) 王子 ⇔ 3代・汪英紫 (ウーえーし)  → 4代・達勃期 (たぶち) 王 →5代・汪応祖 (ウーうふす) 王 →6代・他魯毎 (たるみー) 王に。
南山国の2代・大里 (ウフじゃとぅ) 王が亡くなると、 王の「子」である承察度(ウフさとぅ) 王子と ⇔ 王の「弟」である汪英紫 (ウーえーし) が王位継承権を争います。

そして、形勢が不利になった 承察度(ウフさとぅ) 王子は、朝鮮半島の晋陽に亡命しました。

複雑なのは、
初代・大里 (ウフじゃとぅ) 王の長男も大里王子 → その子は承察度 (ウフさとぅ) → また承察度など‥ 親子、兄弟で類似の名前をつけていました。

(・・? 例えば落語家?
林屋「きくお」の子が林屋『きくお』と襲名する事と類似? との説もあります。

また、文献によつて「唐音」と『琉音』が混同している事もあり、南山王統の系図は複雑ベールに包まれています。

汪英紫 (エージ) は八重瀬 (やえせ) 、汪応祖 (ヤフス) は屋冨祖 (やふそ) の語源になっているようです。

(・・; またまた;
南山国は「内紛」に次ぐ  →『内紛』→  また「内紛』→  わずか短期間で兄弟どうし身内どうし亡ぼし合う内紛一族ため、その詳細は非常に解りにくい物です。


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(・・? 内容は複雑していますが;
南山国 (大里城) は、2代・大里 (ウフじゃとぅ) 王の「子」である島尻大里城承察度(ウフさとぅ) 王子と ⇔ 王の「弟」である島添大里城主・汪英紫 (ウーえーし) が王位継承権を争った結果 →

汪英紫が勝利し、南山国 (大里城) は3代・汪英紫 (ウーえーし) 王 → 4代・ 達勃期 (たぶち) 王 → 5代・汪応祖 (ウーうふす) 王 → 6代・他魯毎 (たるみー) 王と続きました。


ー・→

最期の南山 (大里) 王・他魯毎 (たるみー) は、尚巴志に亡ぼされます。

今でも、糸満市の山巓毛 (さんてぃんもー) という所に他魯毎 (たるみー) 王のお墓があります。https://ja.m.wikipedia./他魯毎

6代・他魯毎 (たるみー) 王は3代・汪英紫 (ウーえーし) 王の孫になります。

汪英紫下世主 (しむヌゆヌぬし) と称し、明朝と交易を行っていました。

晴れ上世主 (テダ / 太陽) に対して ⇔ 
下世主 → 天日子 (テダ子 / 太陽の子) という意味をしていたようです。

ー 晴れ →

南山国 (大里城) の初代・大里 (ウフじゃとぅ) 王は英祖王 (テダ子) の5男で、

汪英紫は大里王の子 (次男) ⇔ 承察度は孫 (長男の子) になるといいます。
https://ja.m.wikipedia./英祖王統

中山国 (浦添城) の英祖王はあの時天日子 (テダ子 / 太陽の子) です。


ー?→

(・・? ところで?はてなマーク

中山国 と 南山国 別の国ではあるけど、
中山国 (浦添城) > 南山国 (大里城) 』→
「世子 (長男) 次男」>『王子 (3男) 4男 』→
「正室の子」>『側室の子』→
長男 > 3男、4男、庶子 など。古くから中山国 (浦添城) > 南山国 (大里城) は血縁関係があり、別の国だけど、明朝との交易船は同じ船を使用していたようです。
南山国 (大里城) は庶流の里




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平成9年、
沖縄県浦添市の伊祖城跡、浦添城跡から「癸酉年高麗瓦匠造りの銘」の入った瓦が出土し、世間の人々を驚かせました!それだけでなく、高麗瓦の工場窯跡まで発掘されました。https://www.asaobo.jp/blog/1346


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近年、浦添城跡から「癸酉年高麗瓦匠造りの銘」の入った高麗瓦が出土した事について、浦添城時代の癸酉 (みずのとり) 年は時代背景からすると、1273年・英祖王の時代が有力とされています。

1271年 (英祖12年) 5月、
朝鮮半島の南では、高麗・元の連合軍の攻撃を受けた高麗の賊兵・三別抄の根拠地だった珍島と済州島が陥落するという出来事がありました。

もしも?!
平成9年に沖縄県浦添市の浦添城跡から出土した「癸酉年高麗瓦匠造りの銘」の入った瓦が、浦添城時代 → 1273年 (英祖14年) の癸酉 (みずのととり) 年 だとすると ?『三別抄』の根拠地だった珍島と済州島が陥落した年のわずか2年後になります。

中山国 (浦添城) は英祖王の時代に、

1度目の文永の役(1274年)、2度目の弘安の役(1281年)という元寇 (蒙古襲来) が起きていました。
https://www.asaobo.jp/blog/1346

↑そうした時代に高麗的な人々や日本的な人々、そのほか人々が沖縄方面に落ち延びて来た お話です。


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中山国 (浦添城) の英祖王は天日子 (てだこ / 太陽の子) です。https://asakobonobulogu.ti-da.net/e7077771.html

南山国 (大里城) の承察度(ウフさとぅ) と 汪英紫 (ウーえーし) は 中山国 (浦添城)・英祖王 (てだこ / 天日子) の子孫になります。

王位継承権で汪英紫 (おじさん) に敗れた承察度 (ウフさとぅ) は朝鮮半島の晋陽に亡命しました。

「西は百済 ⇔ 東は新羅』の「色』になっており、その「2色』は日本にも多大な影響を与えていると云われています。

高麗 (こうらい) 王朝は新羅王朝 (東側) の分家で、新羅の首都は『金城 (クムスン / 慶州) 』で東側にあったといいます。

李朝の首都・漢城 (ソウル) は西側にあったけど ⇔ 李朝の時代に承察度 (ウフさとぅ) は東側の晋陽 (慶州道) に亡命していた事も気になるところです。

承察度 (ウフさとぅ) が亡命した時代、
朝鮮半島は『王氏・高麗』~「李氏・朝鮮」に王統交替 (政権交代) ばかりの時代です。
*わずか2年前に王朝交替

晋陽に亡命した承察度 (ウフさとぅ) は、その地で手厚く『優遇』されていました。晋陽は高麗時代は大使館? ような国境の町になっていたようです。

また朝鮮半島では、
王氏・高麗』~「李氏・朝鮮」に王統交替 (政権交代) すると、一時期、王氏は姿を消したという。

その一方、南山国 (大里城) では、大里 (ウフじゃとぅ) 王、承察度(ウフさとぅ) と 汪英紫 (ウーえーし) など。大 (ウフ / うー) という音にこだわっていたようにも見えます。

ご迷惑をおかけします 朝鮮半島では ご迷惑をおかけします
「王」は「ワン / うぇん」←  沖縄音では『ウフ / うー』などと音していたようです。


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南山国 (大里城) の承察度(ウフさとぅ) と 汪英紫 (ウーえーし) あの時英祖王 (てだこ / 天日子) の子孫になります。

南山国 (大里城) の汪英紫 (ウーえーし) 下世主 (しむヌゆヌぬし) ≒ 天日子 (てだこ / 太陽の子) と称し、明朝と交易を行っていました。

ご迷惑をおかけします ある本によると ご迷惑をおかけします
汪英紫 (下世主 / しむヌゆヌぬし) の子孫は下茂 (しむ) と称し、下茂腹が糸満市の山巓毛 (さんてぃんもー) という所にあるようです。

腹とは「門中 (むんちゅう) 墓」のこと。https://kotobank.jp/word/%E9%96%80%E4%B8%AD-143233

(・・? ?はてなマーク

南山国 (大里城) の最期の王・他魯毎 (たるみー) 王は汪英紫 (下世主 / しむヌゆヌぬし) の孫。

糸満市の山巓毛 (さんてぃんもー) という所に他魯毎 (たるみー) 王のお墓があります。

他魯毎 (たるみー) 王も下世主 (しむヌゆヌぬし) ≒ 天日子 (てだこ / 太陽の子) という事になります。

他魯毎王のとなりに下茂腹 (しむ門中の墓) があります。

他魯毎 (たるみー) 王は、汪英紫 (下世主 / しむヌゆヌぬし) の孫 てんびん座下茂腹 (しむ門中の墓) はその子孫と云われています。

ー 晴れ →

下茂腹 (しむ門中の墓) 東 (あがり / 上り) 幸地腹という糸満市で最大級の (門中墓) があります。

幸地腹下茂腹の東 (あがり / 上りにあるので、東 (あがり / 上り) の腹 → 上の腹 → 幸地腹門中は『上原さん』がたくさんいると云われています。

晴れ 東 (あがり / り) の腹 → 
上の腹 → 上原さん?

糸満市の山巓毛 (さんてぃんもー / 旧・糸満町) 近くには『上原さん』がたくさんいます。

糸満市字糸満 → 
東 (あがり / 上り) に糸満市字照屋 晴れ

中山国 (浦添城) も 南山国 (大里城) も 『テダ子の里』であったように思います。


―  →晴れ →


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