2022/06/14
世界には、
民制のキリスト教国、
王制のキリスト教国。
表面上は民制だけど水面下は王制、象徴的王制の民制など。同じ宗教 / 思想を用いているけど? 印象が異なるよう見え事もあると思います。
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日本では
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宗教学的な政治体制となっており、
江戸幕府は儒教的な学問 → 儒学、
明治政府は神道的な学問 → 国学。
なっていた (いる?) ようです。
前回のブログで、
天主教と朱子学は体制的、
⇔
基督教と陽明学は抵抗的。
という文を載せて見ました。
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(・・? どうやら?
厳密にはそれも誤りようで、天主教 (カトリック教) も 朱子学 (儒学の1種) も その原点は『抵抗的』であったけど、時とともに「体制的」になったようです。
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西方教会では、
カトリック教は異教、
⇔
オーソドックス教は正教。
という関係に。
朱子学は宋の時代に生まれているので「宋学 (朱子学) 」とも呼ばれているのですが、宋朝 / 宋の時代は異端視され採用されていなかった。← そのため朱子学も天主教もその原点は異教 (抵抗的) であった? 云う人もいます。
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江戸幕府は
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朱子学を官学 (政治) とし、時とともに体制的になった朱子学に反発する形で古学 → 国学に進展し。古学の「古」は儒学の「原点」を見つめ直す意味があるようです。
(・・? 複雑お話?
日本の国学は儒学 (朱子学) から派生しているけど、時とともに体制的になった儒学 (朱子学) への抵抗運動によつて生まれたと云われています。
古今東西、
政権交代する前は『抵抗的』な宗教 (思想) が活用され ⇔ 政権交代した後は「体制的」な宗教 (思想) に変化している? 見られるよう思います。
net 上では、
江戸幕府 (旧政府) と 明治政府 (新政府)
どちらの政治が正しいのか? という論争をよく見かけるのですが
本の少し『抵抗的』な宗教 (思想) と「体制的」な宗教 (思想) について調べて見ると
宗教 (思想) は、その時代を生きる人々の視線によつて
良くも悪くも大きく動く物では? 思えて来ました。




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─扉─
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2022年の1月ころ 

2代め沖縄県令 (沖縄県知事) の上杉茂憲 (もちのり) のテレビ番組を上映していました。
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当時〜戦前までの県令 (県知事) は『選挙』ではなく「任命」による物で、東京府の県令になる事と沖縄県の県令になる事は大きな違いが存在し、沖縄県令に任命される事はエリートの出世街道から外れた左遷に近い物があったようです。
(・・? けれども?
彼は? 中央政府の方針に反して ⇔ 改革を行ったと云われています。
民衆政治に結び付く政治改革とは?
旧慣温存政策 の見直し / 廃止の試み見られました。
沖縄県令となった上杉茂憲は、
沖縄本島の島じまを歩き
その翌年、離島各地を視察し、旧慣温存政策に堕した士族 (お役人) たちに虐げられた平民 (民衆) たちの生活苦を目の当たりにし、政治改革に着手したといいます。

琉球国から沖縄県 (日本国) になった時、
これまでの旧王族は華族、旧支配階級は士族、百姓は平民。なっていました。
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(・・? 旧慣温存政策?
その音色は優しく聞こえるけど、
その政策は首里の人は那覇の人を見下し>那覇の人は田舎の人を > 沖縄本島の人は奄美諸島や宮古諸島・八重山諸島・離島の人を見下す。という差別構造にも結び付いていたといいます。
旧慣温存政策は、
古い政治体制を残し、急激な改革は控える。というもでした。琉球国は王制 (農奴制) の国で民主主義の国ではなかったので、古い政治体制を残すという事は民主主義とはほど遠い政策で、その悪政は離島地域では明治の末まで続いていたようです。
おもえば?
琉球処分の大義は琉球国の王族や士族 (お役人) に虐げられた『民衆の開放』と云われていましたが、その大義の実態は、旧王族や旧支配階級には優しく ⇔ 民衆には厳しい物にも見られます。
どうして?
旧慣温存政策をしたかというと、
琉球国から沖縄県 (日本国) になったとはいえ、その時代はまだまだ王国復活を目指す旧支配階級や清朝 (中国) に亡命した支配階級人々の動き等もあり、旧王族・士族層の不満を抑える目的もあったようで。また、財政的に遠く離れた辺境地の面倒を見る余裕もなかったためと云われいます。
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上杉茂憲は、
わずか2年で解任されてしまったのですが、その後も彼は私費政策をしたり、県令時代に敷いた『県費留学制度』は民衆政治に結び付いた
云われています。

代表的人物は 

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(・・? ところで?
江戸時代は殿様タイプ、
明治時代は貴族タイプ。
そうした高貴な家にあった上杉茂憲の政治思想 (民衆政治) は何だったのか
という疑問が生まれて来ました。

その政治思想 (民衆政治) は、
上杉鷹山 (ようざん) という人物の影響を受けていたようです。
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(・・? 不思議お話?
むかし琉球国の政治も儒学で
民衆政治に結び付いた政治も儒学? あった事です。

という事は?
宗教 (思想) が王制に動く事も
民制に動く事も見られるように思えて来ました。




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