2023/01/02
これまで、
ブログのタイトルを「前の国 と 後ろ国』にしていましたが、その表現は誤解を招く事もありますので、これからは「お家 と お庭』というタイトルに変更する事にしました。
お家 と お庭。
家庭というキーワードの転換期は室町幕府の3代将軍・足利義満の時代に集大成を迎え。その時代ころ、お庭を造るは浄土系の人々が多く、足利義満は浄土造りの空間 (金閣寺) で政治を行っていたと云われています。
お家は内側 ⇔ お庭は外側 お家は政治 ⇔ お庭は商業 お家は内政 ⇔ お庭は外交に結び付きます。
… 今日でも →
伝統的な家庭という「家庭政治』のあり方が世界規模の政治になっているようです。
「家庭政治』の背景には、
「個人主義」と『全体主義』?
「利己主義」と『利他主義』?
ただ今の戦争や米国の共和党と民主党の政治スタンス・日本の家庭協会 (政治協会?) 背景にも隠れており。それは古今東西 → 世界規模のテーマでもあるよう思います。
家族のため?
自分のため?
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家族政治はナショナる?
自分政治はグローバる?
(・・? 古代から間接的な?
ー(・・? ―?→
例えば?
巨大な冊封体制 (グローバる体制) を崩壊させたのは英国の東インド会社 (グローバる企業) と云われ → また新たな グローバる体制の中にナショナる体制 ⇔ グローバる世界 ? そうした政治を何度も繰り返しているように思います。
(・・⁈ 意外にも?!
巨大な冊封体制 (グローバる体制) の最大のライバルは海賊問題 (グローバる世界) でありました。東北アジアでは、室町幕府の3代将軍・足利義満の時代は直接的 ⇔ 4代将軍・足利義持の時代から間接的に冊封体制 (グローバる体制) に関与。水面下でのグローバる世界から派生した英国の東インド会社 (グローバる企業) の登場によつて グローバる体制の代替が行われ 今日に → と事を繰り返しているように思います。
ー↓─━─扉─━─↓ー
時代も場所も飛んでいるのですが、ある部分は連続しています。その「ある部分』とは? 歴史の「勝者と敗者』の不思議な関係に思います。
またその「ある部分』は慎重に考え問題でもありますので、冷静な視点が求められます。
室町幕府の3代将軍・足利義満は、
日本史の中で最も人気のない人物でありますが、その「ある部分』← 歴史の「勝者と敗者』の不思議な関係に光 (スポ) ット して見ると 時代と場所は飛んでいても!? という政治の仕組みが見えて来ます。
結論をいうと?
時代と場所を結び付ける物は お家 と お家の間 (はざま) にあるグローバる世界で それは「海の衆』と結び付きます。
歴史は何度も 繰返し栗返し → デジャブすると云われていますので、時代と場所が飛んでいても関連している思います。
―(・・ ? ー?→
こんな文を載せて見ました。
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どうして?
多くの日本人は「大和魂」と言うも ⇔『山城魂』と言わないのか? →「ヤマトなでしこ」言うも ⇔『ヤマシロなでしこ』言わない。
⇔ その一方、
1度は訪れたい町ランキングでは、
『京都府 (山城国 / 丹の国) 』が1位になる事多く ⇔「奈良県 (大和国) 」は場合によつて・・、
山の後ろ → 山背国 → 山城国に。
日本史の中で1番人気が無いのは室町時代、その前の南北朝時代は日本史のブラックホールに。との文を載せて見ました。
(・・!? 意外にも!?
多くの人々がイメージする「京都』は「室町時代』に形成された物が多くあると云われています。
*西陣織や能も室町文化
日本史の中で1番人気が無い室町時代と日本史のブラックホールと呼ばれる南北朝時代は重複しており その南北朝時代を終了 (南北朝の合一) させたのが室町幕府の3代将軍・足利義満でありました。
足利義満は日本史の中で最も人気のない人物で、彼は『逆賊』と呼ばれた時代もありますが 歴史の「勝者と敗者』の不思議な関係に光 (スポ) ット して見ると 時代と場所は飛んでいても!? という政治の仕組みが見えて来ます
↓↑
そのとき歴史の勝者は北朝 ⇔ 敗者は南朝でありましたが、水面下では南北朝時代は続いており 室町幕府の8代将軍・足利義政の時代に封印されていた南朝 (歴史の敗者) は勢いを増します。
義政は政治に無関心で趣味の世界に没頭した『引きこもり将軍』とも呼ばれる一方 ⇔ その趣味は今日の庶民文化への幕開けとも云われています。
京都では、
室町時代は、
3代将軍の時代は安定期 ⇔ 8代将軍の時代は不安定期に。
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その お話は、
江戸時代お話とも似ています。
江戸幕府の2代将軍・徳川秀忠は父親に不満を抱き ⇔ 3代将軍・徳川家光は祖父を尊敬していた。
江戸時代の集大成は3代将軍・徳川家光の時代 ⇔ 8代将軍・徳川吉宗の時代に社会が不安定期。
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室町時代の集大成は3代将軍・足利義満の時代 ⇔ 8代将軍・足利義政の時代に社会が不安定期。
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その浄土系の衆たちは!?
鎌倉幕府の8代執権・北条時宗が立入禁止した浄土系の宗 (衆) とも結び付きます。
―;→
(・・; 毎度こと;
意味不明なブログになっていますが;
歴史は何度も 繰返し栗返し → デジャブする → 事を考えております。
―!?→
(・・!? それは ?!
明朝 (中国) でも琉球でも 3代メと4代メ 8代メの時代は政治の転換期になっていました。
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そのお話は置いといて、
ー―…―…→→
2022年ころ上映されたNドラマ (歴史ドラマ) でも 鎌倉幕府の3代将軍・源実朝の時代で終了したと云われています。
古代から日本には礼的権力者 ⇔ 霊的権力者がいた (いる?) お話をして見ました。
古代から『商的な物』と『霊的な物』は密接関係にあり 鎌倉幕府の3代将軍・源実朝が計画していた『唐船建造計画』も『商的な物』と『霊的な物』に結び付く物に思います。
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意味は異なりますが、
室町幕府の3代将軍・足利義満は、
浄土造りの霊的空間 (金閣寺) で政治を行っていましたが、その前身は鎌倉時代の浄土的な西園寺であったと云われています。
*西園寺=浄土寺
鎌倉幕府4代将軍・藤原頼経 (よりつね) は西園寺公経 (きんつね) の孫。
藤原頼経の祖父・西園寺公経 (きんつね) は朝廷政治の関係者で その本姓は藤原氏。その名は浄土的な西園寺を由来し藤原公経〜西園寺公経という名前に。その西園寺の跡地に室町幕府の3代将軍・足利義満は浄土造りの空間 (金閣寺) を作り、そこで政治を行っていたと云われています。
―(・・? ―?→
ところで?
鎌倉幕府の将軍の名前? 何名おもい浮かんで来ますか? 問われたら? 思う事あります。
詳しくは解りませんが、
鎌倉時代は3代将軍・源実朝の時代で将軍政治は終了。4代将軍 〜 朝廷から幼少将軍が送られ その幼少将軍の代理で北条家が執権政治を行う。幼少将軍が成長すると また新たな幼少将軍が朝廷から送られ 新たな幼少将軍の代理で北条家が執権政治を行う。事を繰り返し 朝廷から送られた将軍は『君臨とも統治せづ」という仕組みであったようです。
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幕府政治 > 朝廷政治の関係に。
―(・・? ―?→
朝廷側はそうした幕府政治 (執権政治) に不満を抱かなかったのか? 事情については ⇔ 朝廷側にも複雑な「家庭政治』が存在していたので幕府政治の力を借りて・・との お話になっていました。
―;→
(・・; 新年早そう;
意味不明なブログになっていますが;
鎌倉時代も室町時代も江戸時代も3代将軍と4代将軍の時代 8代執権と8代将軍の時代に家庭政治の転換期になっていた。
―!?→
(・・!? それは ?!
明朝 (中国) でも琉球でも 3代メと4代メ 8代メの時代は政治の転換期になっていました。
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歴史は何度も 繰返し栗返し → デジャブする → そうしたお話に結び付けようと 考えております。
―→
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