日本ぬ神話
昔んかし、
蛇 (ナガ) 信仰を持つ大国主 (オオクニぬし) が日本島で政治をしていました
ある日、
高天原 (たかまがはら) から鹿 (プヨ) 信仰を持つ天孫族がやって来ました。
*天孫降臨?
天孫族の天照大神 (アマテラスかみ) は 大国主 (オオクニぬし) に『島譲り』を迫ります
*出雲の島譲り ?
― → →
大国主は「わらんちゃークヮイ問 (とぅ) ーてぃからやー」←『子供たちに問うてからね』
「いふぃぐゎーマッチョーけーろー」←『ちょっと待っててね』と言い、返答を一時保留しました。
―(・・? ―?→
大国主ぬ子供 (わらばー) には、
兄 (やっちー) ぬ事代主 (コトシロぬし) と 弟 (うっとぅ) ぬ建名方 (タケミナカタ) がおり。
兄・事代主は「しむんロー♪」←『いいヨー♪』と答えて釣りを始めました。
⇔ その一方、
弟・建名方は「ぬーうー? ウングゥトゥーヤならんどー」←『何だって? そんな事はダメだよ』と言い島譲りを断固拒否
―↓―↓―
後日、
高天原から派遣された建御雷 (タケミカヅチ) が建名方 (タケミナカタ) を倒しにやって来ました。
そこで、
建御雷 と 建名方 は相撲をして建名方は敗れてしまい。敗者の建名方は信濃国の諏訪地方に逃げ延び、勝者の建御雷は常陸国の鹿嶋地方に住まいました。
― そのため →
信濃国の諏訪社は建名方 (タケミナカタ) を祭神とし 常陸国の鹿嶋社は建御雷 (タケミカヅチ) を祭神にするようになった 云われています。
ー―…―…→→
父・大国主 と 兄・事代主、弟・建名方。3親子は蛇 (ナガ) 信仰を持つ海部族 (大物主) の一族で
大物主の本当のお姿は
蛇 (ナガ) で
三輪山が信仰山になっていたようです。
―
→
→
新たな政治家・天孫族は、
「あんしぇーウリカラヤ、わんたーが政治グゥトゥスクトゥ ⇔ うんじゅなーたーヤ祭祀グゥトゥうたびみせーびり」←『それではコレカラハ、私たちが政治をしますので ⇔ あなたたちは祭祀をしてくださいませ』と言いました。
政権交代をした天孫族は、
「御衆様 (グスーヨー) 今日拝願侍ら (ちゅうウガナビラ) ♪」←『皆さんこんにちは♪』と島人 (しまんちゅ) たちに挨拶をし、政治を始めたと云います。
ー―…―…→→
(・・? 詳しくは解りませんが?
蛇 (ナガ) 信仰を持つ海部族 (大物主) = 大国主の住まいは出雲国 仕事場は大和国の三輪山になっていたようです。
鹿 (プヨ) 信仰では
鹿 (プヨ) に危害を与えた者は厳しく罰せられたといいます。
蛇 (ナガ) 信仰では
御頭祭 とか? 時折、鹿の頭部を祀る儀式が行われていたようです。
蛇 (ナガ) 信仰を持つ海部族 (大物主) = 大国主の子 → 事代主 (コトシロぬし) は葛城族 (賀茂氏など) の祖神で建名方 (タケミナカタ) の兄になるようです。
― → →
天孫族は天津神 (降臨の神) 、出雲族は国津神 (土着の神) に。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/天津神・国津神
天孫降臨の後 → 西から東へ → 天孫族 (天津神) を道案内したのが国津神の猿田彦 (佐太彦) であったといいます。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/天孫降臨
ー↓─━─扉─━─↓ー
日本ぬ神話
昔んかし、
九州島に鹿 (プヨ) 信仰を持つ天津神 (降臨の神) がやって来て、国津神 (土着の神) の猿田彦に日本島は大和国まで道案内してもらったと云われています。
*天孫降臨 → 神武東征?
天津神;「道ナラーチくぃみソーレ」←『道を教えてください』
猿田彦;「ウンチケーうんぬきヤビーん」←『ご安心申し上げます』
天津神;「ユタシクうにげーさびら」←『よろしくお願いします』
猿田彦;「アンセーまじゅんンジやびら」←『では一緒に行きましょう』
― → →
一行が日本島は河内国に到着した時!?
蛇 (ナガ) 信仰を持つ海部族・ 長髄彦 (ナガすねひこ / 那賀須泥毘古) が 道せんぼ し ⇔ 一行の前に立ち伏せました。
長髄彦 (ナガすねひこ / 那賀須泥毘古) は、
蛇 (ナガ) 信仰を持つ海部族で
長髄彦の妹・
長髄姫 (別名・
登美夜毘売 / とみヤひめ) は
鹿 (プヨ) 信仰を持つ天孫族・饒日早命 (ニギハヤヒ) の妻 (トゥジ / 刀自) になっていました。
↑
―・・→
長髄彦;「うんじゅなーたーヤ、まーんちゅヤミセーイビーガ?」←『あなた方は、どちら様ですか?』
天津神;「ワンにんグーナチくぃみそーれ」←『私も仲間に入れてください』
―・・→
「
ウンナクンナーそーるうち」←『そうこうしている合間に』
長髄彦の妹・
長髄姫の夫 (うとぅ) である
饒日早命 (
ニギハヤヒ) が現場にやって来て、久しぶりに
親戚 (うぇーか) の
天津神 (
天孫族)
と再会!? 驚 (どぅまん) ぎていました!?
ー!?→
饒日早命;「
ヌーガ!?あんし見通 (ミドゥー) さぬ!?」←『おやまー!?ずいぶん久しぶりだね!?』
「ウンジュドゥやみせーてぃ!?」←『あなたでしたか!?』
―;→
!Σ(×_×;)! 実はそのとき;
饒日早命 (
ニギハヤヒ) は
妻の兄である
長髄彦 (
ナガスネヒコ) を見限り ⇔ 昔懐かし
天津神 (
天孫族)
の
味方をした。との事。
長髄彦;「
アギジャビヨイ」←『おーまいごっと』→
長髄彦は歴史の敗者となり、遠く離れた地に旅立ったと云われています。
ー―…―…→→
諸説ありますが、
長髄彦 (ナガすねひこ
/ 那賀須泥毘古
) と
建名方 (タケミナカタ) は
同神? ? との情報も見られます。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%82%AD%E3%83%A4%E3%83%92%E3%83%A1
ー(・・? ―?→
信濃国の「阿南町』は「町 (まち) 」と『町 (ちょう) 』の分岐点になつており、信濃国阿南町 ~ 東に進むと町 (まち) ⇔ 西に進むと町 (ちょう) が登場する。との事。
阿波国の阿南町は
那賀郡にあり
となりの
名方郡は信濃国の諏訪信仰 (
タケミナカタ神) と関連する郡名と云われています。
*タケミナカタ → 南方 → 名方 → など。
吉野川の北側にあった
「粟の国」 と
南側にあった
「長の国」 が合体して
阿波国に。
「長の国 (長国造) 」 の始祖・
長 (ナガ) 氏は
蛇 (ナガ) 信仰を持っていた神 (みわ / 三輪) 氏の分家で。
ほかにも →
信濃国の諏訪氏も
豊の国の阿南氏も
蛇 (ナガ) 信仰を持っていた神 (みわ / 三輪) 氏の分家と云われています。
ー(・・? ―?→
伊豆国を拠点に活動した
北条早雲 (
後北条氏) は第1号の『
戦国大名』で ⇔
駿河国を支配していた
今川家は「
守護大名」と云われています。
『戦国大名』は地方分権タイプ、
⇔
「守護大名」は中央集権タイプ。
駿河国と
伊豆国 古代も中世も「
中央政府」と『
地方政府』の分岐点? 見えます
北条早雲 (
後北条氏) は韮山城の守護神として熊野権現を勧請し、韮山城内には権現曲輪と呼ばれるスペースもあったようです。
伊豆国
田方郡にある
韮山城は
北条早雲と熊野信仰に縁があり、その『
田方 と
早雲』名称は阿波国の
忌部氏を源泉と云われています。
阿波国の
忌部氏は
霊的氏族と知られ、その祖は天太玉命 (アメノフトタマ) で
その娘・天宇受売命 (アメノウズメ) は
先導神・猿田彦と結婚したと云われています。
ー(・・? ―?→
伊予国久米郡松山郷で生まれた一遍上人は → 後にも前にも ← 日本の「民衆政治」と『断捨離ブーム』の先駆者と云われています。
*断捨離の捨離は仏教用語
時宗 (じしゅう) の一遍上人を立入禁止した北条時宗 (ときむね) 2者の源泉は非常によく似ています。
* 三島信仰など
そこにも葛城族 (
賀茂氏など) とともに行動する『
海の衆』がいました
↑
(・・? 伊豆国には?
田方郡と
賀茂郡と
那賀郡
田方郡は阿波国の
霊的氏族・
忌部氏と縁ある郡名で
賀茂郡は
事代主 (コトシロぬし) を祖神とする
葛城族 (
賀茂氏など) に縁ある郡名
那賀郡は
葛城族 (
賀茂氏など) とともに行動していた『
海の衆』と縁ある郡名にも見えます
事代主 (コトシロぬし) は出雲神・
大国主の子で
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8C%E9%83%A8%E6%B0%8F
忌部氏
(・・? 気になるお話?
天孫降臨 →
神武東征の神話に登場する
国津神 (土着の神) の
猿田彦は、阿波国の
霊的氏族・
忌部氏の娘・天宇受売命 (アメノウズメ) と
結婚 (
ニービチ)
夫婦 (ミートゥンダ) になっている事です。
阿波国の
那賀郡を支配していた
「長の国 (長国造) 」 の始祖・
長 (ナガ) 氏は
蛇 (ナガ) 信仰を持っていた神 (みわ / 三輪) 氏の分家で
長髄彦 (ナガすねひこ
) の子孫
その
長髄彦 (ナガすねひこ
/ 那賀須泥毘古
) と
建名方 (タケミナカタ) は
同神? ? と考えているようです。
阿波国の
霊的氏族・
忌部氏は麻植郡を拠点とし → そのとなりに
那賀郡 →
名方郡 ← その
名方郡は信濃国の諏訪信仰 (タケ
ミナカタ神) と関連する郡名と云われています。
ー―…―…→→
時代も場所もダイブ飛んでいますが、
網野善彦氏によると、良くも悪くも時代と場所を大きく揺れ動かした『異形の王権』がいたと云います。
– 関連かも情報 –
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%99%82%E8%A1%8C
北条時行
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E9%A0%BC%E9%87%8D_(%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%9C%9D%E6%99%82%E4%BB%A3)
諏訪頼重 (南北朝時代)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%85%88%E4%BB%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1
中先代の乱
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