TEL:098-994-5886

営業時間 15:00~24:00  定休日 月曜日・木曜日
〒901-0361 沖縄県糸満市糸満413

第6回 忘れられた理念

1726年、
女流歌人・恩納ナベは、こんな歌を詠みました。

恩納松下 (うんなまちしちゃ) に
禁止 (ちじ) ぬ碑 (ふぇ) 立ちゅす
恋忍 (くいしぬぶ) までぃん 
禁止 (ちじ) やないさめ

ー 竹。。 →

↑歌の意味は→「恩納村の万座毛 (まんざもう) 入口にある松の木の下には、毛遊び (もうあしび) を禁止する看板が立っているが、まさか? 男女の恋愛までも封印するつもりなのか」という歌に。


恩納村の崖 (ばんた) = 万座毛 (まんざもう) には毛遊び (もうあしび) 禁止の立札が設置。


万座毛 (まんざもう) の語源は、万人 (うまんちゅ) が座る毛 (もう) で。毛 (もう) は『野・原・山』を意味していました。

今となつて毛遊び (もうあしび) は、野・原・山で行われる合コンと解釈されていますが、本来は 夜の街 月星信仰の1種で  流れ星  旧暦の七月十五夜、月見会など。満月とき行われる道教的な風習に思われます。

ご迷惑をおかけします この度は ご迷惑をおかけします
毛遊び (別名・辻遊び) は月星信仰1種で 夜の街 日本の妙見信仰と似ている 流れ星 考えて見ました。
*辻 = 交差点 (アジマー)

妙見信仰道教した仏教で、平安時代ころ ~ 何度も風紀を乱すと理由で「封印開封』を繰り返していたようです。

日本で妙見信仰 (月星信仰) を開封したのは、葛城山 / 山岳信仰の役小角 (本名は賀茂氏) → 弘法大師・空海 (真言密教) → 千葉氏 → 後醍醐天皇 (背後に密教僧の文観) → 大内氏 → 明治維新の前など。 知られています。


ダンプカー―…ご迷惑をおかけします―…ご迷惑をおかけします工事中


1726年 / 女流歌人・恩納ナベの時代は儒教が強まり てんびん座 道教した毛遊び (もうあしび) ≒ 月星信仰風紀を乱すと事で禁じられていたように思います。

儒教と  道教→ 

儒教学び色 ⇔ 道教遊び色
儒教質素倹約 ⇔ 道教現世利益
儒教農本主義 ⇔ 道教重商主義
など てんびん座 儒教と  道教の拮抗政治が東北アジアではよく見られました。


その時代は儒教が強まり、琉球の国学も儒学になって行きます。その同時期 てんびん座 日本でも儒教と  道教の拮抗政治が存在しました。



━↓─━ドア─扉─ドア━─↓━



名護親方 (程順則) は1718年明倫堂 (儒教的な学校) を設立しました。


高山彦九郎上杉鷹山の師匠・細井平洲が建てた学校・明倫堂の門下生


時代は下り、水戸家の会沢正志斎が記した『高山彦九郎伝』を見た吉田寅次郎は 目 その内容に感銘を受けた 目 高山彦九郎の諡号は『松陰以白居士 (しよういんいはくこじ) 』であったので、
吉田寅次郎吉田松陰という名前になり、明倫館という学校に結び付きます。

琉球の明倫堂 てんびん座 細井平洲明倫堂 てんびん座 吉田寅次郎明倫館。名前が似ている。

細井平洲は『どんな人でも学ぶ権利』という思想を持ち、尾張国東海市名和町で生まれていたようです。

ダンプカー―…ご迷惑をおかけします―…ご迷惑をおかけします工事中


(・・? 内容は複雑していますが?
1718年に琉球初の学校明倫堂 (儒教的な学校) 」と 1726年 / 女流歌人・恩納ナベの時代の日本は、享保年間 (1716 〜 1736年) で8代将軍・徳川吉宗の時代。
↓↑
その時代の琉球と日本のは非常によく似ていました。ともに てんびん座 儒教と  道教→ 農本主義重商主義の政治が揺れ動く時代に思います。

8代将軍・徳川吉宗の時代、

尾張国重商的 ⇔ 武蔵国農本的 目 政治が見られました 目 江戸幕府の8代将軍・徳川吉宗紀伊国から出た将軍で尾張国徳川宗春とはライバル関係にあり ⇔ 2人は対照的な政策をし。吉宗農本的 ⇔ 宗吉重商的に。


目 8代将軍・徳川吉宗享保の改革という儒教質素倹約 (農本政治) を行い ⇔ 尾張国の7代藩主・徳川宗春道教現世利益 (重商政治) をしていたように見えます 目 

初代将軍・徳川家康の時代と てんびん座 8代将軍・徳川吉宗の時代とでは大きく異なる政治が存在し、儒学者 (政治家) たちの心が大きく揺れ動く出来事がありました。← それは中国明朝 (漢民族の) 〜 清朝 (満州族の) に王朝交替した事と云われています。

ー(・・? ー?→

鎌倉幕府の8代執権・北条時宗
首里王府の8代国王・尚寧王
江戸幕府の8代将軍・徳川吉宗
 ↓↑
8代メの時代は てんびん座 儒教と  道教→ 農本主義重商主義。政治の転換期になっていました。

ー・→

1609年、
首里王府の8代国王・尚寧王の時代に日本と琉球は戦争をしました。← その戦争で琉球は敗れたけど 自転車 琉球国は存続します →

(・・? どうして?
戦争で敗れた琉球国が存続したかというと? 儒教政治が理由と云われています。
↓↑
室町時代 〜 江戸時代の前半まで、
日本の儒学者たちは明朝は「大きな中国」⇔  日本は『小さな中国』という政治をしていました。
↓↑
同じく1609年、
江戸幕府は『大船建造の禁』を発布し、諸藩の大名たちが大きな商船や軍船を造る事を禁ずる法案を出します。
↓↑
1609年尾張国名古屋城が築かれた時代でもあり。後ほど、尾張国にもができます。

尾張国の学校で、その基盤である細井平洲朱子学陽明学

比較的、
朱子学体制的 ⇔ 陽明学抵抗的
朱子学農本的 ⇔ 陽明学重商的
傾向が見られました。

ー(・・? ー?→

ドア 3つの玄関と商業 
尾張国は織田信長 てんびん座 名古屋市は徳川家康が商業基盤を整備したと云われています。

尾張国陸の玄関 ドア 紀伊国海の玄関 ドア 常陸国北方への玄関 ドア という御三家の家族政治 → 尾張国 > 紀伊国 > 常陸国の関係に。

尾張国陸の玄関 ドア ← 1609年江戸幕府は商業の都・大阪城朝廷の都・伏見城を警戒する玄関で、当初から尾張国朝廷政治商業政治に結び付く可能性を秘めていたので、江戸幕府は尾張国を特に警戒していたと云われています。

江戸幕府は朱子学 (儒学) 官学とし、本音と建前の政治をしていました。

建前は王道 > 覇道
本音は覇道 > 王道

儒学では王道 > 覇道が正統論になっていたので、江戸時代の始めから尾張国朝廷ナショナる ⇔ 武蔵国 (江戸) 幕府ナショナる。という緊張関係が存在していたように思います。
↓↑
室町時代 〜 江戸時代の前半まで、
日本の儒学者たちは明朝は「大きな中国」⇔  日本は『小さな中国』という政治をしていた。けど、1644年明朝 (漢民族の) 〜 清朝 (満州族の) に王朝交替した事は、日本の儒学者たちの間においても衝撃的な出来事と云われています。

ご迷惑をおかけします 儒学では ご迷惑をおかけします
秩序という中国思想があったけど、明朝 (華の国 / 漢民族の) 〜 清朝 (夷の国 / 満州族の) に王朝交替。明清交替の1644年ころ 〜「日本が中国」と考える儒学者たちが増えて行きます →
複雑お話、
尾張国陸の玄関 ドア 紀伊国海の玄関 ドア 常陸国北方への玄関 ドア 3玄関とも朝廷政治商業政治に結び付く可能性を秘めていました。

朱子学 (儒学) は「尊王論商業軽視』の傾向が見られる事をよく語られており。江戸時代の始点は てんびん座 朱子学 (儒学) を官学としていた明朝の始点と非常によく似ています。

明朝でも、
永楽帝の時代までは商業政治を重視し、宦官勢力鄭和大きな船商業政治をしていましたが、しだいに儒家勢力が政治力を持つと、大きな船は焼かれ、商業政治は周辺国が行う秩序という政治が行われました。
↓↑
後ほど 自転車 明朝が手放した商業政治造船技術航海地図など。E欧の天主教に伝わり → 中国や日本にも伝来します →


ダンプカー―…ご迷惑をおかけします―…ご迷惑をおかけします工事中


(・・; 毎度こと;
長文駄文ブログなっていますが;
第4回お話では、こんな文を載せて見ました。

   ー↓ー↓ー 


儒学 (崎門学) 浄土的宗派は相反する1面を持つけど、越の国浄土的な宗派が流行した時代がありました。が、竹内式部梅田雲浜橋本左内など。崎門学派は越の国の関係者が多く見られます。

周防国の大内義隆の配下に南村梅軒がおり、梅軒土佐国に渡り土佐南学を開いた。山崎闇斎土佐国に渡り谷時中土佐南学を学び崎門学を開いた。


第5回お話では、 

大内氏の 夜の街 商業妙見信仰 流れ星 について


越の国ほか、摂津国・和泉国・近江国・美濃国・尾張国・三河国など 目 浄土的宗派が流行した地は儒学 (崎門学) と重複する点がよく見られました 目

まづ、
土佐国の谷時中は、もと浄土真宗の僧侶で慈沖 (じちゅう) 〜 時中 (じちゅう) という名前に。

↓↑
周防国の大内義隆の配下に南村梅軒がおり、梅軒土佐国に渡り土佐南学を開いた。山崎闇斎土佐国に渡り谷時中土佐南学を学び崎門学を開いた。

ある方ブログには、
土佐南学は『多目多聴・相互扶助・奉仕勤倹』の教えを重視、商業的な1面を持つ。土佐南学隠れ陽明学とも呼ばれた!? 載っていました。
↓↑
相互扶助というキーワードも浄土的宗派の教えとも似ているように思います。

そうした思想は土佐国発の自由民権運動にも結び付く 長音記号2 載っていました。

ご迷惑をおかけします この度は ご迷惑をおかけします
土佐南学から派生した崎門学隠れ陽明学という情報をインプットして見ました。

陽明学の第一人者・中江藤樹 と 崎門学の普及者・浅見絅斎 は てんびん座 ともに近江国高島市の人で、当地の近江商人浄土的宗派が多くいたようです。


ダンプカー―…ご迷惑をおかけします―…ご迷惑をおかけします工事中


明治維新とき、
土佐国のジョン万次郎と坂本龍馬・勝海舟・水戸学など。キーワードが登場します。

(・・? まことか田舎?
ある方ブログには、坂本龍馬と勝海舟は妙見信仰の信徒で、土佐国 〜 越の国にかけて妙見山が多く。載っていました。


ダンプカー―…ご迷惑をおかけします―…ご迷惑をおかけします工事中



摂津の海人は浄土系の関係者が多く、当初は小石川区に住んでいましたが、1644年ころ、佃島という人工島を築島しその島に住まうように。
佃島のとなりには石川島→
佃島と石川島は同時期に てんびん座 タイプの異なる浄土系の関係者たちが主に築島と云われています。
↓↑
1644年は明清交替の年、
東京府小石川区も石川島も常陸国は水戸家の拠点。水戸学は長い年月かけて製作され、崎門学派の人々も水戸学の製作に携わっていたようです。後ほど、石川島では大きな船を作る造船所ができます。


ダンプカー―…ご迷惑をおかけします―…ご迷惑をおかけします工事中


毛遊び (もうあしび) ≒ 月星信仰を琉球に普及させていたのは、勝連城主の阿麻和利で、 
阿麻和利の前の勝連城主は茂知附 (もちづき) 氏でありました。


夜の街 満月の古語は望月 流れ星

『茂知附 / 望月』は『餅つき』うさぎ意味していたようです。

茂知附 (餅つき氏も阿麻和利も てんびん座 善人 ⇔ 悪人の2つ説が見られますので、「利用封印』の歴史は古今東西あったように思われます。
戦国時代ころ ひらめき電球
念仏宗法華宗天主教 わんわん 犬猿の仲 にゃー ありましたが、その3宗は民衆救済を党是としていたので時の権力社はそのエネルギーを「利用封印』政治があったようです。

善人? 悪人? 
光と蔭はとなり合わせ。
いつの世も『民衆政治』は日々揺れ動く物なのかもしれません。



竹。。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です